日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

Twitter短歌02(20180225-1205)

 細々とTwitterに放出していた短歌が100に達して、モーメントがいっぱいになったので、ブログに載せます。

大体その時の気分で作っている。

 

twitter.com

 
1.
友達は足るを知ってて必要な分だけケーキを皿へと取った
 
2.
鳥よ鳥まだまだ外は寒かろう 勝手にいくな 春を告げるな
 
3.
この先はカーブのために揺れますが人生なので耐えて下さい
 
4.
ルマンドを正しく食べる 初めから粉々ならばキズなき心
 
5.
鉄道をどうして地下に作ったか? 空はこんなに広々してる
 
6.
「死にたい」と言ったらあなた怒るでしょう「生きたい」と言ったら笑って下さい
 
7.
「止まれ」って書いてあるので止まったがいつまで待っても「進め」が出ない
 
8.
思い出は堰き止められて突然に私の中で氾濫をする
 
9.
カスタマーファースト・ホスピタリティーよ僕の身柄は生死を問わず
 
10.
残された灯油を燃やすもう既に終わっていたこと実は知ってた
 
11.
裾上げで余った布は捨てないで心の応急処置に使うよ
 
12.
いらいらとつめを噛むくせ治すためわたしの体中に噛みあと
 
13.
作品の中で彼女は死に続け許してほしい安易なぼくを
 
14.
室内の空気を入れ替え始めたら外のさくらがもう一斉に
 
15.
メーデーと管制塔が言っている僕は何にも出来ないけれど
 
16.
雨上がり図書館「カ行」の作者棚きみの詩集をそっと差し込む
 
17.
たましいを再度分離し半分は地に埋めあとは海へと放て
 
18.
ロキソニン飲めばひとまずハッピーになれる気がする、いたいのとんでけ
 
19.
僕たちは死にたい時に死ねるから幸福だねと君が言うから
 
20.
ワルプルギス、起きて、夜だよ、裁判は有罪だろうし海へ逃げよう
 
21.
三ヶ月ぶりのマックは胃に重い愛していますは何だか軽い
 
22.
度が合わぬメガネを捨てるようでいいきみと別れるそのときのぼく
 
23.
ロビン・フッドが五月の心臓撃ち抜いてそれからずっと春のまんまだ
 
24.
急に人生が窮屈になったよ透明な壁に取り囲まれて
 
25.
ええ、故郷に「山火事注意」の看板を立てたらそこで死ぬつもりです
 
26.
フタ裏に虹があるって知ってても君は舐めずに捨てるんだろうか
 
27.
パーカーを借りればポッケにイヤホンがあって一体なに聞いてたの?
 
28.
書きかけの手紙は海に捨てましたその日はきっと雨が降ります
 
薄墨で名前を書くよ恐らくは君の知らない人の苗字で
 
#葬式に呼んでください
 
29.
あとはもう暗くなるのを待つばかり平成最後の夏至の落日
 
30.
もういいよ十数えたら目を開けてなんて明るいさよならだろう
 
#なんて明るいさよならだろう
 
31.
「に」
あいろにい一足す一が決められた世界でニッと笑うしかない
 
「こ」
ざらついた午後のひかりをフィルターで濾してしまえばここはさらさら
 
自己紹介
 
32.
慣例の一つとしての骨拾い君はクジラのクジラは君の
 
33.
帰る前に電話しようか今すぐに声が聞ければ帰れる気がする
 
34.
僕が見る夕焼け空はどなたかの朝焼けなのでもう泣きません
 
35.
描かれしユリアと名付けた青春がリアルはどこにあるかと問うた
 
36.
Tシャツの黒地に白の線が出ていずれ彼らも塩の柱に
 
37.
戦争はどうでしたかとAIが最後の昭和生まれに尋ね
 
38.
正統は壁へと投げろ天皇もカリフも腐る前の卵も
 
39.
「癌」という名前をつけしその時に世界に足された重さ、と暗さ
 
40.
錆びついた硬貨昭和の文字が消え戦後もいつか近代となるか
 
41.
遠浅。海。多分。貴方。思ったより深くないけどとても遠いね
 
42.
音楽は何次元なりや酸欠の少女が歌う境界線上
 
サマソニ短歌("酸欠少女"さゆり)
 
43.
疲れてるOLみたいな歌詞だねと知らないくせに聞かないくせに
 
 
44.
覆面の人が誰かを代表し誰かに送る遭難信号
 
 
45.
上弦の月に花火が降り注ぐ昨日の天気予報通りだ
 
サマソニ短歌(花火)
 
46.
僕たちは倫理だ きのう百個目の嘘でようやく君に嫌われ
 
47.
生活感のある建物で窓から見えるおじさんが一人で水を飲んでる
 
48.
苦労して言葉を手にしたはずなのに電子の沼でbotになりたい
 
49.
平成の最後の夏に人生の答え合わせをしてしまってる
 
50.
神さまが遊び疲れたあとの空台風一過おもちゃのチャチャチャ
 
51.
作る人吸う人捨てる人ありて吸い殻がいま目の前にある
 
52.
想うのは出会ったことのない人でめめんと・もりとヒグラシが鳴く
 
53.
色覚を調べる紙のようである夢で素数を口にしていた
 
54.
魔女狩りの季節が終わる誰一人生まれ変わりを信じていない
 
55.
結果的に僕らはここに存在し明日の天気を気にして生きる
 
56.
ドヤ顔で「フェルミ推定」連呼する彼は個人の顔が見えない
 
57.
おもちゃ屋ですべての賽が一を指し赤い瞳で私を睨む
#tanka #16tanka
 
58.
僕はただライ麦畑のふちに立ち子供を捕まえる人になりたい
 
59.
ポエジーの枯れ落ちたれば街路樹の無骨な肌とか細き腕よ
 
60.
優しさは品切れでした珈琲の豆を細かく細かく挽いて
 
(珈琲の日)
 
61.
きみの云う言葉の価値が重くなり反対側で飛べない揚羽
 
62.
鬼灯の船に乗り込み彷徨えば銀河に散った淡い言語よ
 
63.
早熟は理由ではないイタリアの夏にかじったアプリコット
 
(映画「君の名前で僕を呼んで」より)
 
64.
そうそれはあまりに綺麗な死体でした持ち帰りたくなってしまうほど
 
65.
モノポール見つかっちゃって私たちSとNとに分けられちゃうね
 
66.
雨光り軌道は昇る虹目指し命のように繋がりは軽く
 
Rain, Ray, Rail, Raise, Rainbow,
Life, Like, Line, Light
 
雨光り軌道は昇る虹目指し命は軽い繋がりみたいに
 
訳が変だけど、まあ適当
 
67.
寝ちゃダメと思う時ほど良く眠れ好きになるのはそれと同じだ
 
リマインダー流星群をきみと見てすぐさまそれを忘れ去ること
 
68.
不老不死憧れちゃうな誰一人悲しませない人になりたい
 
69.
みんなには「ミ」って聴こえるその音が「シ」って聴こえるお昼休みは
 
70.
凍らせた大根おろしは手の中で融けずあはれを少しだけ知る
 
71.
十字路に出くわしたとき来た道を戻るタイプの人間だ、俺は
 
72.
イク時は上を好んだ海月にもそういう嗜好はあるだろうか
 
はじまりの前の世界で重力があったかどうか思い出せない
 
きみといる 時の流れが見えるならきっとくらげの動きに似てる
 
存在は病気そのもの脚だけの紅い海月に名前をつける
 
透明な口づけをした瞬間に海から君と月を奪おう
 
73.
費用対効果を高くするためにさくらをドライフラワーにした
 
74.
腐敗する感情(ぞわり鳥肌の)糸引く足の裏を引きずる
 
75.
原液が原夜に見えた零日目世界は言葉だけ存在し
 
76.
逆立ちができてえらいねダバダバとポテトにかける赤い液体
 
77.
飛び方を忘れてしまった僕たちが口笛吹けば澄みきった冬
 
78.
空焚きの薬缶は鬼灯色に燃えおそらく生は罪なのだろう
 
79.
むしろこわい クリスマスケーキの苺 今日は怒らない母親の笑顔
 
80.
ああ明日隕石落ちて来ないかな靴を放った遠く、遠くに
 
81.
語彙力のないゆえ犬と奪い合う言葉のそれを味も分からず
 
82.
ラング・ド・シャ共通点が猫舌で盛り上がれてた時もあったね
 
83.
ああ海に似た人でした目を閉じてどんな匂いか思い出したら
 
84.
四つ葉から一つ葉っぱを摘み取って君にあげるよお守り代わりに
 
85.
紙以外流さないでと書かれてるトイレに虹を流したりする
 
86.
黄昏 昼は二つに別れてた 僕 と 影 くっつく時間
 
うたの日の対
 
朝   夜は一つになっていた 僕 と 影 別れる時間
『 別 』 ニコ #うたの日 #tanka http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=1688e&id=6
 
87.
北極のオレンジ食堂日替わりの夕陽定食売り切れ模様
 
88.
汽車を待つ少しほこりっぽい時間幼い頃の童話を読めり
 
たまゆらの幻想第四次世界ではカンパネルラがきっと待ってる
 
89.
かなしみの概念のない国なので私も一日ねこでいられる
 
90.
蛇苺あなたはもぎぬ楽園でイヴを誘惑した眼差しで
 
91.
壊れやすいキャラメルマキアート一つくださいそれを大事に持ち帰ります
 
92.
Meたんとふ人格を入れしあはせでしたしあはせでしたと言はせてみたり
 
93.
ポケットの少年少女入れ替えたそれが自然と知っていたから
 
94.
アド街を見たと伝えて少しだけ地獄の罰が軽くなります
 
95.
感情 BOOTHで買った本からは仄かに煙草の匂いがした
 
96.
何者でもないと気づいた人生を繋ぎ合わせて一本の橋
 
97.
最近の君は最も近い君けれども出会う前より遠い
 
98.
カーテンの長さが足りず隙間から見えてる空も柄に含める
 
99.
ヴォイニッチ手稿を読める君といて無音の時が降り積もりゆく
 
100.
輪郭を持って生まれた僕たちが抱える悲しみはぼやけてる
 
 
こちらは、その1です。
 

(2018年11月25日)東山魁夷展@国立新美術館

 
六本木、国立新美術館へ。
どこかで見たことがあるような、懐かしい景色。
これが日本の山だと分かるのは、どうしてだろうか。
そのどれもが、日本人の心象風景だと思う。
線ははっきりとしておらず、どこまで絵に近づいても淡いぼやけた雰囲気。
しかし、いつまでも心に残り続ける。幽玄、雅、そんな風景だ。
あくまで自然、特に木や山や湖や川などの景色のみを描き続けた画家。
人や動物はほとんど描かれていなかった。
自然を描くことで、自然と根っこでつながる感覚があるらしい。
どこにでも神がいる、八百万の神を持つ日本人ならではの考え方だと思う。
四季を愛して、時間を愛した画家。
そんな印象を受けた。
 
気になった絵
「道」「木霊」「山かげ」「松の庭」「秋翳」「黄耀」「白暮」「白夜行」「花明」「緑響く」「静唱」「揚州薫風」
 
吟行というか、ぱっと見て浮かんだ言葉たち
 
「道」
朝露や歩く先には道がある
 
「木霊」
仄光る精霊住みしもみの洞(うろ)
(白い肌の木だと思っていたら、滝だった。もみは樹皮が白くないし)
 
「山かげ」
山かげに水落つる音はと気づく
 
「松の庭」
ぐもぐもと緑生いしげ松の幹
 
「揚州薫風」
閉じ込めた幽玄世界の真ん前の畳の上で故郷を思う
 
「緑響く」
 湖畔には白馬一頭佇みて水鏡に映る祈りの世界
 
詩です

時間を愛する

 
四季を愛するとは
時間を愛することだ
 
彼は変化を恐れることなく
一瞬一瞬の美しさを捉えようとする
彼は老いを恐れることなく
死を正しく受け入れている
 
僕は常に死を恐れるが
それは常に後悔をしているから
常にやり直しを求めているから
有限を恐れ、終わりを恐れ、取り返しのつかない過去を恐れ、一度きりの未来を恐れている
同時に死なないことも恐れている
無限を恐れ、終わらないことを恐れ、過去の改変を恐れ、何度も繰り返す未来を恐れている
永遠に続く時間を恐れている
 
誕生の春
萌え盛る夏
耀きの秋
静寂の冬
 
止めることのできない時間
四季は続く
永遠に続く
誰も逆らうことはできず
止まって見える景色でさえ
常に動き続けているのだ
瞬間を切り出すこと
僕たちに許されているのはそれだけで
それは永劫回帰にも似て
その切り出された
一つ一つの
彫像のような時間を
美しいと感じて
そして永遠に続いていく
その時間を
その移り変わる季節を
僕が死んだ後も続くであろうそれを
愛することで
僕はきっと正しく死を受け入れることができるようになるだろう
 

 

歳をとらないアダム・ドライバー

 
 「Wikipedia」というサイトがある。
 しょっちゅう寄付のお願いをしてくるあのサイトだ。寄付のお願いの文章を見ると、世界トップ10位に入る規模のサイトらしい。
 一度寄付をすると、定期的に「さらなる寄付をお願いします」とメールが来る。私は何度か寄付をしているが、寄付をしたからといって、寄付のお願いの広告が消えるわけでも、メールが来なくなるわけでもない。むしろ一度寄付をしてしまうと、メールが来ることになる。しかし、便利だし、なくなると困るから一応金銭に余裕がある時は寄付をするようにしている。というか、昔に比べて随分記事が充実してきたと思う。大学生の頃にWikipediaレイノルズ数やヌセルト数やプラントル数などの無次元数を調べた時はこんなにページが詳細に書かれていなかった。ちくしょう。これがあったら、流体力学の単位を落とさなかったのに。ちなみにウィキペディア創始者ジミー・ウェールズの顔は知らない。
 
 
 アダム・ドライバーという俳優がいる。スター・ウォーズの新シリーズでカイロ・レンを演じている俳優だ。エピソード7の時は単なる情緒不安定な若者という印象しか受けなかったが、エピソード8ではかなり吹っ切れた様子で、逆に演技に味が出ていて良かったと思う(何様)。「カイロ・レン職場潜入」ってコメディ動画はめっちゃ面白いので、スター・ウォーズを見たことのある人は見てほしい。エピソード8より面白い。なぜか藤井隆に見えた。てか、カイロ・レンのライトセーバーって鍔が付いているけど邪魔だよね。何の意味があるんですか?(Yahoo!知恵袋
 
 
 そのアダム・ドライバーは3日前の11月19日に35歳の誕生日を迎えたのだけれど、Wikipediaの年齢表記がいつまで経っても34歳になっていた。初めはWikipediaの年齢も手動で表記を変えるのかなと思っていたのだが、自分で編集しようとしたところ、生年月日を入れることしか出来ず、どうやら自動的に年齢は更新されるようだった。となると、キャッシュがクリアされていないのかなと思い、パソコンのキャッシュをクリアしたがダメだった。iPhoneで見てみたり、職場の人のパソコンで見てみてもらってもダメだった。この辺についてずっとTwitterで一人で騒いでいた。
 

 

 

 

 原因を調べたところ、安定のYahoo!知恵袋に答えが載っていた。Wikipedia側のキャッシュを更新する必要があるらしい。なんかやり方も書いてあったのだけれど、怖いからそのままにした。アダム・ドライバーのページを破壊したら、カイロ・レンにフォースの力で殺されるかもしれないから。フォースの力って、頭痛が痛いみたいですね。
 
 
 それで今日一日一時間おきに、アダム・ドライバーのページを見ていて、20時くらいにようやくWikipedia側のキャッシュが更新されたらしく、無事にアダム・ドライバーは35歳の誕生日を迎えることができた。おめでとう、アダム・ドライバー。お祝いに、パネトーネを買ってきた。明日の朝食べる。あと、今日は北欧の至宝、マッツ・ミケルセンさんの誕生日です。Wikipediaの年齢はまだ更新されていません。
 

 

 
 最近は(いつ!?)、大学生のレポートもWikipediaのコピペが増えているというし、某作者(誰が!?)の某歴史の本もWikipediaのコピペが含まれているらしい(要出典)。私も大学時代は、とあるサイトやとある本からコピペしてレポートを作ったことがあるが、Wikipediaに載っている情報が常に正しいわけではないので、いつでも自分の目で調べ、頭で考え、時には足や手も使い、それが真実であるか確認をするべきだと今回の件で強く感じたのであった。
 

草を思う

率直に申し上げて、きみのことは分からない。
正確に言えば、何かを理解することなんて出来たことがない。
分かる、とか、分かり合う、とか、
ぼくにとっては一番遠い感情の一つだ。
だってそうだろう?
きみの立場に立つことは出来ても、
きみの心を理解することは出来ない。
分かった、とか、分かり合えた、とか
人はすごく嬉しそうに話をするけれど、
でもきみたちが持っている世界は、
もっと原初的なカオスだっていうことに、
それを理解するなんて不可能だってことに、
見ている世界は結局表面的でしか過ぎないってことに、
ぼくは随分と前に気がついてしまった。
 
草を思うとき、ぼくは
草の色を思う。
草の形を思う。
草の味を思う。
草の匂いを思う。
草の出す音を思う。
草の肌触りを思う。
草の種類を思う。
花を思う。
実を思う。
種を思う。
芽を思う。
枯れる時を思う。
 
生まれる前を思う。
死んだ後を思う。
 
生まれる前にも季節はあって、死んだ後にも続くのだろう。
ぼくらは草原に横たわり、原始的な姿にもう一度戻る。
理解し合うことが出来ずとも、手をつなぐことは出来て、
二人の間には、風が優しく吹き抜けるだろう。
まどろみの中、次に目をさますその時まで、
ぼくらはいつまでも手をつなぎ続け、
そこに感情はいらないはずだ。
そんな季節を、ぼくは思う。

(2018年11月21日)寺山修司展@神奈川近代文学館

 
 美術館は人が多くて自分のペースで見られないし、情報量が多くて全部受け入れようとすると疲れるので、あまり得意ではないのだけれど、今日は文学だったしそこまで展示も多くなかったので、非常に良かった。絵よりも想像の余地があるというか。寺山修司についてもある程度知っていたからかも。
 

 
メモ書き
 
寺山のやろうとしたことについて
 
『迷路と死海
「虚構と日常と現実とのあいだの国境線を取り除く」ということか。
それは構築された世界、システムの破壊。
それを成し遂げたのが、コラージュ作品、切り貼り、模倣、実験映画。
 
また、過去の改変は可能と考えた。虚構。
未来は不変である。
 
例えば……
「街中を舞台にする」
「舞台と客席の区別をなくす」
「シナリオや台詞をトランプで決める」
「客席から舞台が完全に見えず、何をやっているのかが分からない」
それはフラッシュモブのような枠の中の話ではなく、もっと根本的な境界線の破壊だ。
 
「夢は夢の中では現実であるから、ボードレールは眠りを恐れた」
という言葉が脚本に残されている。
 
『地獄篇』
「死んだ人はみんなことばになるのだ。その約束の意味を究めよう。死んだ人はまさしくことばになるのだ。ことばに、ことばに、ことばに、ことばに、ことばに、ことばに、ことばに!」
 
 
 
「ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかって
完全な死体となるのである
 
そのときには
 
できるだけ新しい靴下をはいていることにしよう
零を発見した
古代インドのことでも思いうかべて
 
「完全な」ものなど存在しないのさ」
 

 
 もう新しいことは言えないか分からないが、私が感じたことは既存の評論の範疇だろう。
 短歌という点から見ると、寺山は虚構を内包した新たな私性を作り出したと言えるだろう。それは既存のものを破壊するだけの力を持っていたが、同時に既存のシステムからの攻撃を受ける。だが、そのような話は別として、寺山修司は30歳のころに歌のわかれを宣言する(実際には晩年に再度作歌する)。反論はあると思うが、短詩というジャンルが、一瞬の青春のうちに燃え上がる情熱を表現するには大層相性が良いが、歳を経るに連れて、短詩にその情熱を託し続けることが困難になる、という意見に対して私は賛同したい。だが、実際に寺山が短歌を離れたのは、虚構の私を使ってですら、短歌に自分を託し続けることができなかったのだと思われる。謂わば、短歌という詩の形態に限界を感じたのだと邪推するが、ここでは深掘りはしない。
 短歌と虚構の関係は、完全に解決されたとはまだ思えず、いつまでも燻り続ける問題に見える。やはり、短詩という形態が、虚構を支え続けることは難しいのだろう。実際には可能かもしれないが、一個人がそこまで短詩に自分自身を変換することが可能なのか、それを行った結果きちんと元の世界に帰ってこられるのか、ということが恐怖にすら感じられ、それはすでに現実と虚構の境界を完全に破壊する作業に他ならないと思われる。寺山は演劇という形態でそれを積極的に行い、その試みはある程度成功したようだが、しかしながら虚構は現実があるから虚構なのであり、境界が完全に破壊されつくされた場合、その世界に現実も虚構もなくなってしまう。そのようなジレンマ、自己矛盾が存在する以上、結局境界の完全破壊は不可能なのかもしれないと、少し悲観的、冷笑的に感じてしまう、今は。
 それはそれとして、寺山が短歌の中で実際には生きている母親を殺すという作業を行ったことは、自身の少年時代に母親と離れて暮らした生活が無関係ではないだろう。先程の話と重複するが、寺山はやる時はとことんやる男だったのだと感じた。母親を殺すために、おそらく自分の世界ととことん追い詰めたのだと感じられる。そして、それをする必要性が彼の中におそらくあったのに違いない。寺山は短歌というジャンル以外に、演劇でも実験的な作品を数多く遺し、そしてその作品群には常に「虚構と日常と現実とのあいだの国境線を取り除く」というテーマがあったように見える。
 
 私は恥ずかしながら、まだまだ知らない作品が多いので、これを機に読んでみたい。この感想文も単なる感想文である。
 思えば、寺山修司はカッコいいのだ。作品と生き様の全てが。ファンには怒られるかもしれないが、尾崎豊に似たものを感じる。ある種の情熱を持った若者にとって、強烈なシンパシーを感ざるをえなくて、時代の寵児に、若者のアイコンにしか見えなくなるのだろう。憧れをもち、彼らの生き方を真似したくなってしまう、そんな魅力に溢れている。今日、寺山修司展に行けて、寺山修司をまた一つ知れて本当に良かったと思う。

RAIN TRAIN

とある日に
とある雨の中
とある人が
とある電車で
とある海を目指し
とある夕陽を見た
 
これは
とある生涯
とある生活
とある生命
とある死
 
とある人と
友だちになった
とある人は
とある人と
とある恋に落ち
とある恋人となった
とある人の
とある恋人は
とある悩みがあった
 
とてつもない
輝きがある
とほうもない
運命がある
どうしようもない
絶望と
嫉妬と
どうしたって
かなわないという
思い
 
とある人の
とある話
とある雨が
とめどなく
流れるのを
とある電車の窓から
眺めている
 
とある噂
 
とある雨も
いつかは止むだろう
とある