日々のこと

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南武線の話

 南武線を馬鹿にしたいわけではないので、読んで不快に思った方がいらっしゃいましたら謝罪いたします。

 南武線という路線がある。南はヤクザとギャンブルの街である川崎駅から、北は23区に入ることのできない自然豊かな街である立川駅まで繋がっている。この路線の存在を知っている人は都民でも実はそう多くないはないのではないかと思っている。なぜなら、南武線の何処かの駅にわざわざ降りて観光に行くという話をあまり聞いたことがないからだ。もちろん、南武線沿線上にもいくつか大きな街(川崎とか武蔵小杉とか)はあるが、それらの街は他の路線が通っているため、わざわざ南武線に乗る必要はない。武蔵小杉という駅は、近年駅周辺の再開発が行われ、駅の周りに多くのタワーマンションが林立している(ついでに古くからの住民と、新しくタワーマンションに引っ越してきた住民との間でいざこざも発生している)。武蔵小杉の駅は元々東急東横線が通っており、また副都心線横須賀線も通ったため、横浜・渋谷・新宿・池袋・東京などの駅まで一本で行くことができ、その利便性もあって、近年地価が高騰している。だが、忘れてはならないのが、武蔵小杉の駅は元々南武線も通っていたということだ。そのため川崎駅や溝の口駅までも一本で行けるのだが、それが押しになっているという話はあまり聞かない。そもそも武蔵小杉という駅は知っていても、武蔵小杉に南武線が通っていることを知っている人がどれだけいるのか疑問だ。
 話を戻すと、南武線に乗る人の殆どが、南武線沿線上の駅に住んでいる人達であるということだ。それか、川崎駅までギャンブルや風俗に行く人だけだろう。ただし、先程述べたように武蔵小杉駅から都内や横浜駅へのアクセスはよいし、他にも中央線や京浜東北線と接続する駅があるため、南武線沿線上の駅はある意味でベッドタウンとしての役割を果たしており、住んでいる人の数もそこそこ多く、南武線の利用者の数も少なくはない(統計的なデータをきちんと調査していないので、おそらくと言っておく)。つまり、南武線は知っている人は知っているが、知らない人は全く知らないという、都内を走るローカル線であるといえる。ただ、この路線がローカル線かどうかというのは議論が分かれるところではあると思う。それでも古くから南武線の存在を知っており、時折おりJRの貨物列車が走っている南武線を見ると、山手線や京浜東北線、中央線や東海道線とはどこか違う風情を持つなと思ってしまう。
 余談だが、南武線には「向河原(むかいがわら)」と「分倍河原(ぶばいがわら)」という発音が似ている駅があり、このどちらかの駅に集合場所にすると混乱が生じる。だが、このどちらかの駅に用事がある人は、そこに住んでいる人を訪ねる人くらいのものだろうから、おそらくあまり不便を感じている人は少ない。奇跡的に南武線沿線上の地元民同士の会話でなんか変だなと思うことが生じ、全く違う駅について話していたということが発生するくらいだろう。

 私はこの南武線沿線上のとある駅の近くに実家がある。駅から徒歩5分ほどのところに家があり、その駅は武蔵小杉や川崎駅と違い、駅の周りに何もない。本当に畑と田んぼくらいしかない(多少誇張はしている)。最近実家に帰っていないので駅周辺がどのように変化したか分からないが、多分そんなに変わっていないだろう。何となく新しい風を入れたりする空気をあの周辺からは感じない。どことなく、田舎特有のムラ社会的な空気を感じる。一応都内なのに。
 実家は線路が近いため、電車が通るたびに家が少し揺れた(一応断っておくが南武線は地下鉄ではない)。多い時は10分に1本ほど電車が通るため、そのたびにゴーという電車の通る音が聞こえ、家が揺れることになる。空港のそばにある家のようにめちゃくちゃ揺れて騒音が酷いというわけではないが、ベッドに横になってヘッドホンで音楽を聞いていると、振動だけが伝わるため地震が起きたのかと錯覚することもあった。それだけ電車が通っているから、多少生活音が大きくてもいいだろうと思い、大音量で音楽を流したり、ギターを弾いたりしていた。親からはたまに怒られたが、近所から苦情が来たことはない。今となっては近所の人達がどう思っていたかは分からないが。
 最寄り駅が南武線の駅であったため、通学は南武線を使用していた。剣道部の寒稽古は始発で電車に乗る必要があったため、吹きさらしの駅のホームでホッカイロを手で擦り合わせながら電車を待っていた。ひどく寒くて、早く温暖化が進んでほしいとか不謹慎なことを考えていた。土日も遠征に行くときは始発に乗る必要があり、電車に乗り込むと酔っぱらいが椅子で横になっていて、床にはチューハイの缶が転がっていた。それを見ると理由もなく悲しい気分になった。そうした光景を見たからではない。そんな光景は別に他の路線でも見ることができる。ただ、南武線の場合車内の空気がそれを受け入れているように感じたからだ。それは優しいともいえるかもしれないが、多感な学生にとっては残酷な光景だった。
 父も通勤に南武線を使っていたし、兄も通学に南武線を使っていた。家でテレビを見ながら電車の音が聞こえると、父が帰ってきたのだな、とは思わないが(そこまで本数は少なくない)、「ただいま」と言ってリビングに顔を出す父は南武線に乗ってきた人の顔をしていて、さっきの電車で帰ってきたことが分かった。南武線に乗ってきた人の顔というのは分かりづらいと思うが、世の中にはそう形容するしかない顔が存在する。そしてそれは南武線に乗ってきた人だと顕著に表れるのだ。きっと通勤に南武線に使うにつれ、少しずつ何かを南武線に置いてきてしまっているのだと思う。南武線にはそういう(ブラックホールみたいな)少しずつ人々から何かを吸い取ってしまう性質がある。そうして南武線に乗っていくうちに、父の酒量は増え、兄も大学に入ると家に帰らなくなっていった。父も何かを感じたのか、途中から車で通勤するようになったが、一度増えた酒の量は減らなかった。兄は地元を出て京都の方で就職をした。私も地元を出た。多分、実家に帰ることはないと思う。そして、私もまた南武線に吸い取られた何かを取り戻すことができずにいる。

 そうしたものたちが、私の南武線の思い出だ。当然他にも色々あるが。
 線路の近くで暮らしていたため、生活音の中に電車の通る音や踏切の音が入っているのが普通だと思っていた。今でもたまに夜にふと電車の音が聞こえた気がして耳を澄ますが、もちろんそれはただの空耳だ。南武線は今日も人々から何かを吸い取りながら走っているだろう。しかし、もう私のそばを走ってはいない。
 生まれて初めて乗った電車は南武線だし、死ぬときも南武線に乗るのかもしれない。もし私が死んだらカムパネルラと一緒に銀河ステーションからゴトゴトと南武線に乗って天上を目指すのだろうか。いや、これはないな。南武線にカムパネルラはいない。いるのは酔っぱらいのおっさんだけだ。
 そのうちきっと電車の音が聞こえ、家が少し揺れる日が来る。寒い冬の朝だ。そうしたら、私は家を出て駅に向かい、ホームで南武線を待つ。ホッカイロで手を温めながら。南武線は遅れもなく来てくれるだろうか。来てくれたら嬉しい。遅刻すると、顧問の先生が怖いからだ。窓から見えるまだ眠っている街。車内の灯りは薄暗い。トンネルを抜けると、「次は〇〇」という車掌の声が聞こえて、私は降りる準備を始める。次の駅で東京方面の電車に乗り換えるのだ。

 

カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない。