日々のこと

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【1/27(土)開催】MEGASTAR JOURNEYを見に行こう!(2015年11月20日の文章を再録)

 
プラネタリウム界の狂犬、大平貴之さんがまたやってくれた。
 

 
 
 
プラネタリウムとVRを組み合わせたものらしいけど、詳しいことはよく分からない。
とりあえず初日の公演の抽選予約をしてみる。
大平さんの会社で作っているメガスターは、今年の8月に千葉県立現代産業科学館で見て、もの凄く感動をした。
プラネタリウムって、今まではなんか嘘っぽいとか、学習教材っぽいってイメージあったのだけれど、メガスターは全然違っていて、没入感が半端なかった。
何でここまで違うのか分からないけど、作品の構成や、投影の仕方、もちろん機械そのものも違うだろうし、その施設においてどのように表現するかまでこだわっているのだろうと思う。多分。よく分からないけど。
その時に、プラネタリウムとVRが組み合わさったらすごいな、もし実現したらぜひ見てみたいと思っていたけど、思ったより早く実現された。
VR自体も体験したことがないので、とても楽しみだ。まだ見られるか分からないけど。
 
ところで、この「ABAL」というシステムが、自分自身が仮想空間を体験するだけではなく、一緒にいる人達と同時に仮想空間を共有できるらしい。
これ、どういう感じなのだろう。
モーションキャプチャーで被験者の動きを読み取って、それを仮想空間に反映するのだろうか。
自分は仮想空間の共有というのについて、ちょっと懐疑的に見ていることがあり、究極的にはマトリックス攻殻機動隊の世界になるのだろうけど、それが可能なのかが謎というか、想像ができない。
例えば現実世界で人を殴る動作をして、それが仮想空間に反映されるというのはまだ分かるけど、「人を殴るぞ」と頭の中で考えたとして、その思考を取り出して仮想空間に反映し、実際に仮想空間上で人を殴ることができるのだろうか。マトリックスの世界はそんな感じに見えたけど。
謂わば、人の思考を読み取ることは可能なのか、クオリアの取り出しは可能なのかということだ。
昔こんな文章を書いたなと思ってEvernoteをあさっていたら、2年前に書いていたのを発見した。
この時から学習が追いついていない。
その時に持っていたブログに載せていたと思うけど、そのブログは消してしまったので、供養のために引用でアップする。
VRプラネタリウムは、抽選に当たったらレビューを書くかもしれません。
 
マトリックス攻殻機動隊のような世界は可能なのだろうか。
(実は攻殻機動隊は見たことないのだけれど。今度見よう)
そんなことをふと思った。
 
これらの作品世界のアイデアのベースになっているのは「水槽の脳」だろう。
我々が見ている世界は、実は水槽に浮かぶ脳が見ているバーチャルリアリティに過ぎないのではないかという思考実験だ。
水槽に浮かんだ脳に電極を差し、様々な刺激を与えて、あたかも自分に空があり、周りに人々や、当たり前にあると信じている物質が存在していると感じさせる。しかし、実際にはそうあると脳が電気信号を受け取っているに過ぎない。
所謂錯覚の一種だが、ここまで突き詰めなくても人々の感覚というのは曖昧で、それは焼きごてを当てられていると思い込むことによって、実際に皮膚に腫れが生じるという例を挙げるまでもないだろう。
 
これ自体はなんとなく理解できるのだが、実際にマトリックスのような世界を想像するときにどうしても腑に落ちないことがある。
それはバーチャルリアリティの世界というのは他人と共有可能なものなのだろうかということだ。
先の水槽の脳の話はいわば脳へのインプットの話だ。脳に対して信号を送ることで、現実とは違う世界を認識することができる。
しかし、マトリックスはそうした自己完結だけの世界ではなく、他社とのコミュニケーションが生じる。
想像の中だけとはいえ、実際に人と会話し、触れ、時には傷つけることができる。
インプットだけではなくて、アウトプットも可能な世界。それは現実的にあり得るのだろうか。
 
マトリックスの世界は例えるならネットゲームの世界だろう。
サーバーという名前の世界があって、そこにキャラクターたちが集まる。
実際キャラクターを動かしているのはローカルにあるコンピュータだが、ローカルのキャラクターの情報がサーバーに送られ集まることで、キャラクター同士のコミュニケーションを取ることができる。
ただ、これはゲームのキャラクターの情報だから可能なのであって、実際人間の脳の中の情報をマトリックス世界というサーバーに送ることは可能なのだろうか?
当たり前だが自分がいくら誰かを殴ることを想像しても、実際にその誰かを殴ることはできない。
しかし、何らかの方法でその情報を読み取り、サーバーに送り、その情報をさらに相手に送ることで、相手に殴られたと思わせることは可能なのだろうか。
クオリア哲学的ゾンビの問題を考えると、自分の頭の中、ひいては意識をどこか別の場所に飛ばすことは本当に可能なのだろうかと思ってしまう。まるで人の夢を見ることは可能なのだろうか、という問題だ。
今まで当たり前に受け入れてきたけど、はてと考えるとすんなり受け入れて良いものでない気がしてきた。まあ、それも含めて個人の脳の中で完結した物語と言われてしまえばそれまでだが。
 
ただ、マトリックスの世界は単なるプログラムの集合だし、人間の意識もプログラムで表現、或いは再現できるとしているのだろう(そもそもマトリックスの黒幕は人工知能であるわけだし)。
それならば、マトリックスの世界はネットゲームの世界の延長ですと言われても納得はできる。
しかし、結局のところ、その意識のプログラミングが可能なのだろうかという問題にぶつかってしまう気がする。
 
アンドロイドは電気羊の夢を見るか」というのは古いSF小説のタイトルだけど、仮にアンドロイドが夢を見たとして、それを知ることがそもそも可能なのだろうか、ということすら実は分かっていないのではないかという話。