日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

好きということ

 今半裸でこれを書いている。嘘です。寒い。めっちゃ着込んでる。
 穂村弘さんの「はじめての短歌」を読み終わった。ブクログにも書いたけど、レビューは下みたいな感じ。
 
こういう創作論の本を読むのは初めてだったけど(この本は創作論とはちょっと違うかもしれないが)、すらすらと読めて楽しかった。凄く勉強になる。他の短歌の初心者向けの本は読者の短歌をここが良くないと言って歌人が添削していたが、この本は読者の短歌をこう変えると悪くなると言って、元の作品が如何に素晴らしいかを語ってくれる。優しい。
「生きのびる」という言葉と「生きる」という言葉があって、「生きのびる」というのはお金を稼ぐとか仕事をするとかコンビニでご飯を買うとかそもそもコンビニそれ自体のような、システム化されて洗練されていくものについて言っているが、それは短歌にはなりえない(しても面白くない)。何故ならそれは替えがきくからだ。反面、「生きる」ということ、蝶々の唇を探したり、裸足で雨の中迎えに行ったりは短歌になっていく。それは唯一無二のもので、何時迄も記憶に残る。しかし、人が長生きするためには、明日を生きながらえるためには生きのびていかなくてはならない。そこのバランス、悩ましいなと思ってしまった。食べるためにはお金が必要だし、お金を稼ぐには仕事はしないといけないわけだし、仕事のメールで短歌を詠むわけにはいかない。ただ、「生きのびる」ことだけに力を入れていると、短歌を詠めなくなる、詠んでも何だかしっくりこない、つまらないものができてしまうのかなと思ってしまう。
 
面白かった部分は
 
三十歳職歴なしと告げたとき面接官のはるかな吐息
 
という短歌を詠んだ方に対して、「この人は絶対就職できませんよ」と言い切っていたところ。歌人になるためにはどこか変わっている必要があるかもしれない。

 

 この「生きのびる」と「生きる」の差が厳しくて、厳しいってほどでもないけど、悩ましくもある。短歌を詠み始めてまだ2ヶ月くらいで、完全に初心者から始めているし、それまで古典的な和歌はおろか、現代の口語短歌についてもよく知らない。自分でも詠んでみたいと思って勢いで始めて、とりあえず今のところはまだ楽しくやっている。それでも所謂「生きのびる」ための活動、仕事をしたり、家事をしたりなどの合間にやっているし、短歌を詠むという行為がお金になったり、何か人生に、というか「生きのびる」ためにプラスになる行動かどうかと言われるとノーだと思う。だから、というわけではなく、いやきっと「だから」なのだろう。ふとやっていることがつらくなってくる。

 ああ、もう愚痴っぽいけど、時間を見て、それなりに一生懸命やっているつもりだ。生みの苦しみも時にはある。真面目に取り組んで、でもそれは前提条件で、良い短歌を詠むためには真面目に取り組む以外ないだろう、きっと。しかし、それが評価されるかどうかは別の話だ。今はまだ初心者という言い訳ができなくもないけど、何年後とかにきちんと殻を破れるのかもわからない。いや、そもそも評価されるされないというのは本来別の話だろう。それに苦しんでまでやるべきなのだろうか。もっと楽しむべきではないか。分からない。ただ、自分の性格として、今ここで一度止めてしまったら、もう二度とやらなくなる気がする。なので、とりあえず続けてみたい。
 まあ、でももっと好きになると楽しいと思う。今日Pixivでとある漫画の二次創作を読んだら(BL小説)、本当に勢いだけで、その漫画キャラクターがただただ好きという感情で書いているのだなと思い、元気がもらえた。もちろんストーリ的には破綻しているところもあるし、文法も変なところもある。でもそんなものは二の次で、とにかく好きという感情、情熱だけで、何万も何十万文字も書いている人がいる。すごい。思えば太宰だって自分が大好きなのだろうし、三島も日本が大好きで小説を書いていたのだろう、よく知らないけど。私の場合、つまりは生活とか世界とか家族とか、そうしたものをもっと好きになると良いだろう。
 もっとリアルに、自分の体験を生々しく語った方が良いのかもしれない。気恥ずかしさもあるが、それは捨て去って。今までのはどことなく嘘っぽさや説明口調や気障ったらしさが含まれている気もする。結構実験的に色々やっているけど、とにかく心の中をさらけ出すべきだよなあ、と。
 とにかく、何だか落ち込んで、元気が出た一日でした。
 
はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)

はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)