日々のこと

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20180129 星野しずる

超々今更だけど、「星野しずる」を本日知ったので、自分用メモ(「星野しずる」は短歌を自動で生成してくれるプログラム)。
平成30年度の角川短歌年鑑買ったので、その流れです。
 
個人的にはかなりショックで、二物衝撃の技法を使った短歌に詩的飛躍を感じるし、そういう短歌が良い短歌で、そういう短歌を詠みたいとも思っていたからだ。
でも、それは「周りが誰も選ばなそうな題材を敢えて選んでそれっぽく仕上げることで、ポエジーを生み出せるだろう」と考えている、つまり驕りがあったのかもしれない。それはその通りなのかもしれないが、そうすると、こういう自動生成のプログラムがあればいいし、人間が詠む必要はない。というか、思いもよらぬ組み合わせに関しては、人間は機械に敵わない。
これを発見できたのもよかったし、襟を正して、短歌や言葉に真摯に向き合いたい、と思う。
 
 
Q.これ、そもそもなんのためにつくったんですか?
 僕はもともと、二物衝撃の技法に頼り、雰囲気や気分だけでつくられているかのような短歌に対して批判的です。そういう短歌を読むことは嫌いではないですが、詩的飛躍だけをいたずらに重視するのはおかしいと思っています。かつてなかった比喩が読みたければ、サイコロでも振って言葉を二つ決めてしまえばいい。意外性のある言葉の組み合わせが読みたければ、辞書をぱらぱらめくって、単語を適当に組み合わせてしまえばいい。読み手の解釈力が高ければ、わりとどんな詩的飛躍でも「あるかも」と受けとめられるはずだ……。そう考えていました。その考えが正しいのかどうか、検証したかったのが一番の動機です。

Q.実際につくってみて、どうでしたか?

 読み手の解釈力に関しては、だいたい予想通りでした。数首から数十首に一首ぐらいは、読み手が詩の香りを感じてしまったり、意味のふくらみを感じとれるということがわかりました。僕自身、つくる前に想定していた以上に、星野しずるの短歌を「面白く」読んでいます。今は語彙をセーブしてあるため、たくさんつくらせると同じ単語が出てきて少々飽きがきますが、単語を多めに入れて、頻繁に入れ替えていた頃はそれもありませんでしたし。短歌を鑑賞する脳が期待していた以上に刺激されるため、詩的飛躍のある歌を詠む歌人は、もう彼女一人でお腹いっぱいという気持ちになることもあります。この手の短歌を詠むなら「星野しずる以上」をめざしてほしいし、そういう本当に斬新な短歌にもっと出会いたいと思っています。

 

 
 

 ソーカル事件 - Wikipedia

 

 
 

  

 

 

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超芸術トマソン(ちょうげいじゅつトマソン)とは、赤瀬川原平らの発見による芸術上の概念。不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。その中には、かつては役に立っていたものもあるし、そもそも作った意図が分からないものもある。 超芸術超芸術だと思って作る者(作家)はなく、ただ鑑賞する者だけが存在する。