日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

交換日記は終わらない

 今日「交換日記」という単語を見て、えらく懐かしいなあと思った。
 
 交換日記。日記自体が個人的なものなのに、それを交換してしまうのだ。手紙と何が違うのだろうか。履歴が全部残ることだろうか。同じノートで書くことだろうか。返事への期待度が高まるのだろうか。まあ、どこか違うのだろう。過去の文豪は後の世で勝手に日記が公開されてしまって大変だが、基本的には日記は外に出すものではなかったはずだ。ただ、最近はブログやSNSの台頭で個人的な日記もどんどん外に出すようになっている。そうなると、もしかしたら交換日記というものもあまり行われなくなっているのかもしれない。
 
 交換日記、人生で二度ほどやったことがあるけど、どちらも私が止めてしまった。理由はめんどくさいとか、書くことがないとか、書くことがあってもそれを人に見せるのが恥ずかしくなったとか、色々組み合わさって、書くのを止めてしまった。交換相手に一週間くらいせっつかれたけど、それも一週間で終わった。半ば意図的に、半ば自然消滅的に終わった交換日記だ。
 ただ、その交換日記を卒業まで続けたら、どうなっていたのだろうと思う。私と違う学校に行った人もいたし、遠くに引っ越してしまった人もいたので、続けるのは困難だったはずだ。やはり自然消滅的に終わってしまったのだろうか。
 
 手紙などは年をとってからも続けられるし、また新しく交流を始めることも可能だ。交換日記はどうだろうか。手紙よりも返事への期待度が高い分、それが足枷になって、どこかで止まってしまうと、そのまま消滅してしまう可能性が高い。一週間も空けてしまうと、今更再開するのは気がひけるものだ(これは、自分で書いている日記にも言えるかもしれない)。交換日記を始める段階で、どこで終わらせるかを決めるグループはないだろう。仮にノート一冊分の交換を終えたとしても、そこで終わらせるかというと、そうではなくて、多分二冊目を始めるはずだ。みんなどこで交換日記を終えるのだろう。自然消滅的に終わってしまう交換日記が多いのだろうか。世の中にはそんな途中で止まってしまった交換日記が溢れているのだろうか。「最終兵器彼女」って漫画でも、途中で途絶えてしまい、シュウジが書くのをやめて、ちせだけが書いていた気がする(昔読んだものだから間違っていたら申し訳ない)。
 
 さて、あの頃みたいに交換日記を再開することはできるだろうか。難しいかな。照れくさいし。
 
 私は今でも日記を書いています。誰にも見せるつもりのない日記を。内容のない、空疎な日々を記したものを。それでも、生きている記録として、日記を続けています。あの頃は何もかもが輝いていた気がします。毎日日記に書くようなことが、毎日みんなに報告したいことがあったような気がします。もしかしたら私は、そうした日々がいずれ失われて、日記に書くことがなくなってしまうのが怖くて、自分から交換日記を書くことをやめてしまったのかもしれません。本当にごめんなさい。でも、そうした日々は、日記に残そうが残すまいが、いずれ失われてしまうのですね。それだったら、もっとあなたとの日記に残せばよかったと思います。
 あなたはどうですか? 今でも日記を書いていますか? 今もあの頃のように、キラキラして輝いている時を過ごしていますか? それとも、私のように空虚な時を過ごしていますか? 
 また交換日記を始めたくなったら言って下さい。今度はきちんと忘れないように書いていきます。時間はかかるかもしれませんが、何とか書いていきます。新しい発見や、喜びや嬉しかったこと、それと悔しかったことや悲しかったことも。私達の間にある、今までの空白を全て埋めることはできないけど、頑張って少しずつ埋めていきたいです。私のこれまでのことや、これからのことを少しずつ書いていきます。あなたの空白の時間も少しずつ私に教えてくれたら嬉しいです。可能であれば、この先の空白の時間を少しでもあなたと埋めることができたら、それに勝る喜びはありません。
 
 それでは、また。