日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

百貨店

 ものすごく疲れている時は、物がいっぱいある空間に行くと落ち着く。それを夫に伝えると、会社帰りに私の買い物に無理やり付き合わされている彼は、少しうんざりしたように、そうかな、俺は物がいっぱいあると、それだけ情報量が多いってことだから頭が混乱してくるけど。それに人混みも苦手だし。君だって家が散らかっていると落ち着かないって言ってたじゃないか、と答えてくる。彼の言っていることはもっともで、特に反論の余地はない。私だって人混みは嫌いだし、家の中はなるべくなら清潔で、床にはチリひとつない状態であってほしい。しかし、それは家の中の話であって、私が言っているのはお店の中の話だ。人混みについては仕方がないので、なるべく閉店間際の客が少ない時間帯に、今日みたいな会社帰りに行くようにする。店員もそわそわしていて、早く帰ってくれないかなという空気が出ていて、それに釣られて客も急ぎ足で買い物をしているような空間の中で、ゆっくりと閉店時間ギリギリまで商品を眺める。食品を見ては、その味を想像する。何かの集まりにお土産で持っていこうか、今度自分へのご褒美に買おうかなと考える。食器を触ってみて、それを使っているところを想像する。食器に上にどんな料理を乗せたら素敵だろうかと考える。何に使うかわからないようなものを見るのも好きだ。そうやって時間を使う。夫はイライラしているが、無視する。何か買うときもあるが、大抵は何も買わない。店員からしたら厄介極まりない客だろうと思う。申し訳ない。
 好きなのは東急ハンズやロフトみたいなよく分からない雑貨がたくさん置いてあるお店だ。無印良品は、置いてある商品が、全て無印良品のブランドなのが気になる。もっと、多種多様なメーカーの物が置いてあってほしい。コンビニならちょっとオシャレなファミリーマートより、ナチュラルローソンの方が好きだ。商品数が多くて、雑多な感じがするから。伊勢丹高島屋三越のような百貨店も好きだ。特に地下の食品売り場が好きだ。そこで、食べる試食品や、芸術作品と思えるようなケーキを見るのが好きだ。関係ないけど、私はデパートという呼び方よりは、百貨店という呼び方の方が断然好きだ。食品といえば、カルディや成城石井のような、食品百貨店といった感じのお店も好きだ。お店が狭いと人が多い時に閉口してしまうけど。ドン・キホーテも好きだが、お店が狭いのと人が多いのがやはり気になってしまう。予備校生の時は、一緒に住んでいた伯父と夜中によくドン・キホーテに行った。そこでよく分からないレトロゲームとか、栄養ドリンク五ケースとか、お腹につけるだけで振動で腹筋が割れる健康器具などを買った。食品以外は全部倉庫で埃を被っている。
 でも、一番好きなのはアンテナショップだ。東急ハンズや百貨店やドン・キホーテはどこに何があるのかが、カテゴリーで分けられてしまっているのがつまらない。もっとどこに何が置いてあるのかが分からないくらい、自由であってほしい。アンテナショップは食品や工芸品や地方誌などが雑多に置いてあるのが嬉しい。食品は美味しいものもあるけれど、それ以外にどんな味がするのか想像ができないものもあるのが嬉しい。工芸品も、目を見張るような美しいものの他にも、その土地ならではのものを見たり触ったりするのが幸せだ。地方の雑誌を見ると、私が今まで知らなかったその土地の生活を知ることができて楽しいし、いつかそこに行ってみたいなと思う。アンテナショップに行って、何かを買うときもあるし、何も買わないときもある。ただただ、商品を眺めているだけで、楽しいし、幸せだ。いつか買うかもしれないし、永遠に買わないかもしれない。買わない可能性の方が高いだろう。それでもいい。そうやって自由な時間を過ごすと、私の凝り固まった頭がほぐれていくのを感じるから。私の世界が広がるのを感じる。私はもっと好きに生きて良いんだとも思う。
 それを全部夫に話すと、彼はよく分からないなあという表情を、隠すことなく顔に出す。加えて口にも出す。お店に行って、何も買わずに帰るというのがよく分からない、と。もっと目的的に生きたほうが良いんじゃないかな、何も買う気がないのに商品を眺めるなんて時間の無駄だよ、とまで言う。でも、と私は反論する。あなたも読みもしない本を買ったり、何も買わないのに本屋に行ったりするじゃないかと。そうじゃない、買った本はいずれ読むつもりだし、本屋に行くのもいずれ買って読む本を探すためだよ。特に意味もなく行っているわけじゃない、と夫は言う。必要なものを必要な分だけ買う、それがスマートな生活じゃないかな、あまり意味もなく買い物をするのは、大量生産大量消費の資本主義だよ。スマート、私はその単語を聞くと、そんなものは憐れな蝿のように牛蛙に食べられてしまえばいいのにと思う。そうだ、あなたはそうやって必要なものを必要な分だけ摂取する生活が好きなのか。そんな余白や無駄のない人生のどこが楽しいのだろうと思う。あなたは人生に本当に必要なものが分かっているのか、と尋ねたくなってしまう。そして、それに私はちゃんと含まれているのかと。そんなにスマートが好きならば、必要最低限の栄養だけをサプリメントで摂って生活すればいい。そう言いたいのをぐっと我慢して、私は彼に素敵な食器の上に乗せた、素晴らしい料理を提供する。彼は料理を褒め、大抵そこで言い過ぎたと気づいてくれる。
 まあ、私も疲れていると、ファミレスとかで料理を選ぶのが嫌になるし、醤油ラーメンだけで勝負しているラーメン屋で食事をしたい、そう言うと、彼はそうだろうそうだろうと満足そうに頷く。その顔の右頬を私は引っ叩く。ついでに左頬も。彼はキョトンとする。なぜ叩かれたか分からないから。無駄に叩かれたと思っているのだろう。その驚いた顔を見て私は満足する。無駄だと思うなら、そう思っていてもいいよ、でも私には必要なことだから。