日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

イマジナリーフレンド

 
 Twitterでこんなアンケートとった。
 

 

 回答数が少ないので統計的に有意なデータとは言えないけれど、回答してくださった方々ありがとうございます。アンケートの回答数が少ないと、明らかに自分がミュートされている気がして凹みますね(考え過ぎ)。半分くらいの人はいたことがなくて、三割ほどの人はまだいるらしい。個人的には意外な結果となった。
 
 そもそも、イマジナリーフレンドとは何ぞやという人のためにWikipediaのリンクを貼る。
 
 
 簡単に言うと、幼少期に存在する空想上の友人であり、心理学、精神医学における現象名の1つである。ただ、Wikipediaの記述は情報が少ないので、以下の記事が参考になるかもしれない。イマジナリーフレンドが生ずる原因は、寂しさを紛らわせるためというのが定説だが、それ以外にも諸説あり、寂しさだけが原因というわけでもないらしい。
 
 一応ブログの記事をまとめると
 
 1.イマジナリーフレンドは一般的
 
 北米の研究では、保護者や子どもに質問する方法で、3歳から7歳の子どもの半数程度がイマジナリーフレンドを持つことがわかっている。
 2.イマジナリーフレンドは目に見えない
 
 目に見えない空想の友達は、イマジナリーコンパニオン(Imaginary Companion)のうち、目に見えない友達(Invisible Companion)として扱われ、よりしろのあるものは、物の擬人化(Personified Object)と呼ばれて区別されている。
 西洋においては目に見えない友達が多く、日本や中国では物の擬人化が多いというデータもある。

 3.イマジナリーフレンドは病気と関係があるのか

 
 児童期におけるイマジナリーフレンドの有無は、青年期における精神疾患の発症とは関係がない。

 4.イマジナリーフレンドを持つ子どもの社交性

 
 イマジナリーフレンドを持つ子どもは、従来、極度に内向的な性格だと思われていたが、研究によって明らかになったところによると、イマジナリーフレンドを持つ子どものほうが、社交的であり、現実の友達が多いことがわかった。

 5.イマジナリーフレンドを持つ子どものイメージ能力

 
 イマジナリーフレンドを持つ子どもは、そうでない子どもに比べて、特に視覚イメージ・聴覚イメージの能力が高いわけではない。
 しかしイマジナリーフレンドを持つ子どもは、そうでない子どもに比べて、他者の視点を考慮する能力や、複雑な構造をもった会話、知識状態の理解などが優れている。
 

 6.過剰に働く他者検出器

 
 イマジナリーフレンドを持つ子どもは、ランダムな刺激に対して、人間らしさや生物らしさを読み取る可能性が高い。

 7.なぜイマジナリーフレンドを持つのか

 
 イマジナリーフレンドを持つ理由として、定説になっているのは、「情動的補償説」。
 社交的で人との関わりを求める子どもが、一人になる時間があった場合に、寂しさを紛らわせ、自分を楽しませるためにイマジナリーフレンドを創りだす。
 しかし、子どもがイマジナリーフレンドを持つ原因には諸説あり、単に寂しさだけが関係しているわけではない。

  

 詳しくは元記事を読んでほしい。
 
 自分はイマジナリーフレンドというよりは、頭の中に別の世界を作り出し、そこに何人かの登場人物を生み出していた。寝付きの悪い子供だったので、寝る前はその子どもたちと脳内世界で遊んだり、冒険をしたりしたが、現実世界にその子どもたちが出てくることはなく、これは脳内世界の話と自分でもある程度は意識していたので、厳密と言うとイマジナリーフレンドとは違うかもしれない。ただ、脳内世界の話を現実世界に持ち出してしまったことはしばしばあり、「昨日〇〇ちゃんと遊んだ」と現実にいない友達と遊んだ話を親に言ってしまったことはある。また、それとは別に人形を使った一人ままごとのようなことはしていた。
 イマジナリーフレンドというか、妄想は小学校くらいまで行っていて(今でも妄想自体はするけれど)、だけど中学生くらいになってからは行わなくなった。理由としては「単純に忙しくなった」「恋を経験した」「性を知った」ということだと考えている。個人の見解だが。
 私のイマジナリーフレンドは、世間でいうものとは違うのだろうけど、そもそも幼少期は現実と空想の境目が曖昧で、「『ドラえもん のび太と夢幻三剣士』のように、この現実が夢の中で、夢の中が現実なのでは?」といったことも考えたりしていた。幽霊や妖怪や妖精の類も信じていたし、そうした曖昧な意識の延長線上として、イマジナリーフレンドが存在したとも言えるだろう。そして、現実世界が忙しくなり、そうしたことを考える暇がなくなって、ただただ目の前のことを処理するのに精一杯になってしまうにつれ、イマジナリーフレンドは消え、いつしか幽霊や妖精という存在も信じられなくなってしまった。身も蓋もない言い方をすれば、「大人になってしまった」といえる。
 
 イマジナリーフレンドが出てくる話として、辻仁成の『ピアニシモ』という小説がある。中学生の時に読んだのだけれど、なかなかおもしろかった。その時はイマジナリーフレンドという単語は知らなかったけれど。当時の社会的不安が見えるし、結構今でも通じる話だと思う。
 
ピアニシモ (集英社文庫)

ピアニシモ (集英社文庫)

 

  

 あとは、乙一の『きみにしか聞こえない CALLING YOU』もある意味でイマジナリーフレンドだなあと。詳しくはネタバレになるから言えませんが。
 
きみにしか聞こえない―CALLING YOU (角川スニーカー文庫)

きみにしか聞こえない―CALLING YOU (角川スニーカー文庫)

 

  

 空想世界と現実世界の境目とは言ったものの、実際『水槽の脳』や『マトリックス』の世界観からすると、現実世界が偽物ということになるし、何が空想で何が現実とは言えないのかもなと思い、この文章も人類がいなくなった世界で狂った自分が書いているのかもしれない、などと考え怖くなったので、今日はイマジナリーフレンドと寝ることにする。