日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

詩について

窓際のディスプレイにはガラスの容器が置かれている。
僕はそれを遠くから眺める。有り体に言えば、ガラスには外からの光がキラキラと反射してとても綺麗だ。
一歩ずつそれに近づいてみる。ゆっくりと、慎重に、音も立てずに。
そうやって近づいていくごとに、印象が変わることに気がつく。
遠目に見たときには、ぼんやりとしたものが、よりはっきりと見えることに気がつく。
 
しかし、目の前に立ってそれを手にした時、僕はひどく後悔をしてしまう。
床に叩きつけて粉々にしたくなる。
僕の手には負えないものだったのだ。
手にとるべきではなかったのだ。
それは大事に棚の中にでも閉まっておくか、
アクリルケースに入れて誰の手にも触れないように展示しておくべきだったのだ。
 
僕は詩を読む時に、それに似た感情を抱く。
初めはただキラキラと輝いている全体が見え、僕は一瞬のうちに目を奪われ、
そしてゆっくりと近づくかのように、一文一文を丁寧に読みながら、細部を解き明かそうとする。
僕の中の扉は開かれていて、光が余すことなくもたらされる。
でも、それは子供が無邪気におもちゃを解体するようなもので、何も考えてないのと一緒だ。
子供はバラバラになったおもちゃを見下ろして、泣き叫ぶことになるだろう。
それはおもちゃを失ったことの悲しみではなく、自分自身の愚かさを嘆いているのだ。
僕も同じだ。
僕が詩を解き明かそうとした瞬間、その輝きは永遠に失われ、僕は自分の愚かさにひどく嘆くことになる。
あるいは僕の中の、もう閉じてしまった扉の前で呆然と立ち尽くすことになる。
扉には鍵穴はなく、あるのは一面の白い壁に似た、いや結局それは扉ではなく壁なのだろう。
そこに寄りかかり、何度詩を読んでみても、何度呼びかけてみても、何も返ってこなくなる。