日々のこと

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数学短歌

 数学セミナー2019年3月号の『数学短歌の時間』に私の短歌を三首も掲載していただいた。永田紅様、横山明日希様、ありがとうございます。このコーナーは今月で終わりらしいのだけれど、最後に掲載していただいてとても嬉しい。掲載されている他の方の短歌も素敵なので、もし本屋や図書館で見かけたら手にとっていただけると幸いです。
 
数学セミナー58巻3号(2019年3月号)(2019年2月12日発売)
 
横山明日希様選・数学短歌の時間⑫】『公理(または定理)』
永久に不変の定理を一瞬の生の僕らが解き明かす日々/ニコ
 
【永田 紅様選・数学短歌の時間⑫】『自由題』
どの円も同じ中心持つゆえにバームクーヘン同じさびしさ/ニコ
 
円錐の形のお湯はゆっくりとカップの形の珈琲となり/ニコ
 
数学セミナー 2019年 03 月号 [雑誌]

数学セミナー 2019年 03 月号 [雑誌]

 

 

 あと、横山明日希さんがTwitterで主催した、『愛と数学の短歌コンテスト』を書籍化した『愛×数学×短歌』に私の短歌が一首掲載されています。こちらも何かの機会に手にとっていただけたら。そちらは名前を変えて、掲載していただいています。
 
何気ない午後五時二十九分も君と夕日を見たら特別
 
愛×数学×短歌

愛×数学×短歌

 

 

  以下自解のような。
 バームクーヘン(バウムクーヘン?)の歌は、バームクーヘンにドーナツのような穴があり、その穴の中心も、年輪の部分の中心も、全部同じということに気がついたのが作ったきっかけ。ドーナツの穴についての短歌はよく見かけるのだけれど、バームクーヘンの穴の短歌はあまり見ない気がする。”有る”部分も”無い”部分も同じ中心を持つというのが面白いと個人的には感じている。
 この短歌を提出したあとに、九螺ささらさんの『神様の住所』を読んでいたら、同じようにバームクーヘンの同心円についての歌があってかなりびっくりした(図らずとも類想歌のようになってしまった)。というより(御本人にはご迷惑だと思うが)、九螺ささらさんと世界を見る視点が結構似ている気がして、勝手に親近感が湧いている。
 このコーナーに送りたいなあと思いつつ、一度も送らず、今回最後だというので二十首くらい一気に送ってしまったのだが、大変申し訳無いことをしてしまった。採用されていただき、本当に嬉しい。また、他の人の短歌も凄くレベルが高くて、今まで応募しなかったことを後悔している。図書館などで読み直したい。
 
神様の住所

神様の住所

 

 

 数学と短歌についての考え。
 短歌、というか詩が森羅万象の目に見えない世界を文字で表現するものだとしたら(それは主に『美しさ』や『真理』についてだと個人的には思っているが)、その中に数学の世界が含まれているのは不思議ではない。岡井隆先生の本にも書いてあったのけれど、『なにをうたうべきか。なにをうたうこともできはしないのだし、なにをうたってもいいのだ』ということになる(岡井隆『今からはじめる人のための短歌入門』より)。ただ、数学の美しさというのはなんだろうか、と考えた時に、それを言葉で表現するのは難しく、更に短歌としての整えるのも大変で、かなり悩みながら今回は短歌を作った。
 数学の美しさは、例えば定理や式のシンプルさや意外性、証明のエレガントさなどが挙げられるかと思うが、それをそのまま31音に当てはめてもあまり面白くない。加えて、数学の美しさというのは、ともすれば記号の機能美にも感じるため、詩という言葉の美とは、上手くいけば相乗効果を生み出すが、下手するとグロテスクか単純なつまらないものが出来上がってしまう。オイラーの式はそれ自体が美しいと感じるけれど、なぜそれが美しいと感じるかを歌にする必要がある。かと言って自分は短歌にそこまで明るいわけでも、数学に詳しいわけでもない。結局、数学的な美しさに触れた時の自分の心の動きを短歌にする、という方向で歌をいくつか作った。
 数学はなんとなく浮世から離れているようなイメージがあるかもしれないけれど、実際には身の回りにいくつも存在しているし、意外なところで接点を感じることが多い。そういう意外性の面白さや、図形の美しさを考えるのが好きだったなあと思い出していた。まあ、自分は理系の学部を卒業し、大学院まで進んだのだけれど、大学一年時に学んだ教養の数学(微積とか線形代数とか)は全然理解できなかったし、数学としての知識はほとんどないと言って良いのだけれど。
 今後も短歌を作って、数学についてもなんとなくかじるかもしれないが、うまく自分の中にある世界を(それは数学の世界も含めて)言葉で表現できたら良いなと思う。