日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

部屋について

 部屋、みたいなものが好きだ。
 それは仮想的な部屋であってもいいし、実際のものでもいい。
 広すぎる必要もない。四畳半くらいの広さで、真ん中にリサイクルショップで購入した小さな丸テーブルを置いて、上からはミシンで適当に縫ったテーブルクロスを敷く。真ん中にはいつも季節の花が生けてあると嬉しい。花瓶は誕生日にFranFranで買った自分へのご褒美とか、クリスマスに青山フラワーマーケットで買ってもらったプレゼントとかでもいいけど、単純に牛乳瓶であってもいいと思う。あとは暖かいハーブティーと、クッキー(チョコチップクッキー)があるとすごく嬉しい。
 それ以外は何もいらないけど、私の場合は多分部屋は本に埋もれているだろう。むしろそうであってほしい。

 その部屋の中ではいつも独りだ。
 時々、誰かがノックをして訪ねて来るかもしれない。もし気が向いたら、お茶でも飲みながら、近況とか読んだ本の感想を言い合ったりするのもいいだろう。でもそれは本当に稀な話で、基本的には部屋では独りでいる。
 あなたが好きな人も嫌いな人もその部屋に入ることはできない。あなたのことを好きな人も嫌いな人もだ。その部屋にノックもなしに勝手に入ることは絶対に許されない。神様や大統領だって許されない。許されてはならない。

 鍵のかかった自分だけの部屋。

 その部屋では何をするのも自由だ。
 本を読んでもいいし、小説を書いてもいい。詩を詠んでもいいし、誰宛てというわけでもない手紙を書いてもいい。楽器を弾いてもいいし、下手くそな歌を歌ってもいい。わーっと叫んでもいいし、涙が枯れるまで泣いてもいい。
 部屋は防音だからどんなに騒いでも苦情を言われることはない。だから何も気にしないで気が済むまでやりたいことをやればいい。
 でも、その部屋は自分だけのものでなくてはならない。誰かに言われてレイアウトを変えたり、他の部屋に引っ越したいなと思ったりしてはいけない。もちろん誰かを住まわせるなんてことをしてはならない。それは、あってはならない。

 そんな部屋。

 私の大学の先輩の昔話で好きなものが一つある。
 その先輩は中学生の頃、学校の中にある物置部屋みたいな部屋に放課後よく立ち寄っていた。そこはガラクタやゴミや使い終わった資材などが置いてあった部屋だったが、先輩が持ち込んだ本が散乱していて、あとは黒板とチョークがあった。
 先輩は本を読んでは、本に書いてある数式を黒板に書きつけ、ずっと計算をし、理論の確認をしていた。部活にも入らず、家にも帰らず。
 そのうちその部屋が取り壊されるか、部室か何かに使われることになったらしく、物を片付ける必要が出てきた。私物を持ち帰り、好意で鍵を貸してくれた先生に鍵を返しに行くと、「いいのか?」と言われ、「いいんです」とだけ答えた。
 初めてこの話を聞いた時にすごく感激して、この話が大好きですと伝えたら、先輩はこの思い出があるから何とか今までやってきている、と応えてくれた。
 こういう思い出の部屋って、みんな持っているのだろうか。

 時たま自分の中にものすごく広い部屋を持っている人がいる。
 その人の部屋は本当に広いので、自分でもどこに何があるのか分かっていない。でも、間違いなく言えるのはその部屋の中にあるのはどれも素晴らしいものだ。その人は部屋の中にある素晴らしいものを見つけるのに夢中なため、はたから見ると変な人に見えてしまうかもしれない。でもその人は自分の部屋の中を探検するのに忙しく、周りを気にしている余裕がないのだ。
 「ハチミツとクローバー」のはぐちゃんの台詞で以下のようなものがある

やってみたい事がたくさんある
創ってみたい物が果てしなく散らばっている
新しい箱を開くたび たくさんの「?」が飛びだしてくる
私はそのひとつひとつ つかまえて格闘し 味をたしかめて飲み下し
名前をつけて あるべき場所に還していく
そのくり返し そのためのぼう大な時間
この箱を全部開けたい でも全部明けるには人間の一生は短すぎる
人生が400年あればいいのにと 仕方のないことを考えてしまう
人ひとりの人生では 開ける箱の数に限界がある
でも 一緒に戦ってくれる人がいれば……
口にしては だめ
ずっと一緒に 戦ってくださいとは……
彼には彼の 人生がある
私には 私には それを奪う 権利はない
羽海野チカハチミツとクローバー』9)

 
 この箱が置いてあるのが、はぐちゃんの中にある広い部屋なのだと思う。部屋というか、もうそれは草原みたいなものかもしれない。そんなイメージ。

 私の部屋は狭いくせにとても散らかっていて、どこに何があるのかも分からないし、本棚もあるにはあるが、本は整然と並べられていないので、あまり本棚の意味がない。もしかしたら部屋の何処かに素晴らしいものがあるのかもしれないが、何にもないかもしれない。あったとしても見つけられないかもしれない。鍵はかけていたのに誰かが持って行ってしまったのかも、無くしてしまったのかも、ああどこに行ってしまったのだろう。
 それでも部屋は部屋だ。私自身が持っている。

 あ、でも誰かの部屋に行ってお話を聞くのもすごくしてみたい。ノックもするし、靴も揃えてから入るし、お土産にアテスウェイのショートケーキも持って行くから誰か招待してくれないかな。
 いや、ダメだな。人の部屋に入るには、お互いにそれなりの準備と覚悟がいる。

 というわけで、今日も私は独り部屋の中で文章を書く。