日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

記憶について(短編小説)

 
「佐藤さん」
 住んでいるアパートの階段を登ろうとした時、背後から声をかけられた。今泉だ。私は少し大げさなため息をし、日課となってしまったやり取りを始める。
「またですか、刑事さん。いい加減にして下さいよ」
「何度もお尋ねしてしまって申し訳ないです。しかし、あの事件の時に現場にいたのが佐藤さんだけだったので」
 今泉の言う事件というのは、15年前に起きた事件のことだ。15年前、今泉の両親の惨殺死体が公園で発見された。その時、なぜか死体のそばにいたのが当時10歳の私だった。私は死体のそばで、大泣きをするでもなく、ただボンヤリと座っていたらしい。犯人は今でも見つかっていない。警察も何千人もの警察官を動員して捜査にあたったが、有力な証拠を見つけることもできかった。今泉も当時10歳で、この事件の犯人を捕まえるためだけに警察になったらしい。そして、その時現場にいたのが私ということを知ってから、毎日のように私につきまとっている。
 
「そう言われましても、15年前のことなんてもうよく覚えてないですし。あの時は子供だったので、冷静に周りを見渡す余裕もないですし。それに刑事さんも知っているでしょう? 私はあの事件がきっかけでそれ以前の記憶を失ってしまったんです」
「ええ、それは存じ上げておりますし、佐藤さんが大変な目に遭われたことも重々承知しております。でも、本当にあの時の事件を解決できるのは佐藤さんの記憶だけなのです。どんな些細なことでも構いません。何か覚えていませんでしょうか?」
「いや、ですから覚えていないものは覚えてないです。あの時警察に話したことが全てです。刑事さんだって15年前のことなんて覚えていないでしょう? 私なんて15日前の夕飯に何を食べたのかでさえ覚えていないのに」
「それは記憶の定着の問題です。一昨日の夕飯のメニューを覚えていなくとも、何か衝撃的な事件のことは何年経っても覚えているものです。そうでなければ、トラウマやフラッシュバックと言った現象は存在しません。それに、私は15日前に何を食べたか覚えていますよ。15日前は自分でパスタを茹でて、レトルトのミートソースをかけました。150日前は新宿のハンバーガー屋さんで、アボカドバーガーを食べました。1500日前はちょうど台湾に旅行に行っていましてね、現地の屋台で胡椒餅牛肉麺を食べました。15000日前は、まだ産まれていないか。10000日前に食べたのが確か……」
「いい加減にして下さい!!」
 そう言い放つと、アパートの階段を駆け上がり、乱暴に部屋のドアを閉め、鍵をかける。ドアスコープから廊下を見てみるが、追ってきている様子はない。カーテン越しに窓からそっと外の様子を窺ったが、アパートの周りをウロウロしているわけでもなさそうだ。大丈夫。不審な点はない。そう思って、もう一度深い溜め息をつく。相も変わらず気持ち悪いほどの記憶力の良さだ。私にそれほどの記憶力があれば、いくらでも事件解決の手助けをするのだが。
 
 
 私が「全て」を思い出したのは、その事件の日、15年前のことだ。ここでいう「全て」とは、前の人生の記憶、いわゆる「前世」の記憶だ。嘘くさいと思われるのも無理のないことだが、事実なので仕方がない。私は前の人生で、いつどこで生まれ、どのような人生を過ごし、どうやって死んでいったかを完璧に思い出した。しかし、その記憶の蘇りは驚くべきことではあったが、私にとって幸福をもたらすものではなかった。その代わりにそれまでの記憶、つまりこの人生の10歳までの記憶を全て失ってしまったのだ。
 私がこの人生で気づいた時、最後の記憶はベッドの上で家族に見守られながら、まさに死の旅路へと出発するところだった。前世のそれ以前の記憶も残っていたが、この人生でなぜ今ここにいるのか、どうしてこんな体になってしまったか、などについては一切記憶がなくなっていた。ただ、目の前にある二つの肉塊に気が付き、胃の中の物を全部吐き出した後、ボンヤリと座っていた。そのうちに近所の人が通報したのか、警察が駆けつけてきて、私を保護してくれた。私は身元を証明するものを何も持っておらず、それに加えて事件のショックで記憶を失ったと思われたため(実際に記憶は失っていたのだが)、その後施設に預けられることとなった。そばにいた二つの死体についても、身元が分かるものを所持していなかった上に、顔は特徴が分からなくなるくらい酷く損傷していたので、身元不明の遺体として処理された。ただ一つ分かったことは、その二つの死体と私の血が繋がっているということだけだった。それはDNA鑑定の結果から判明したそうだ。そう、つまりその二つの死体と私は親子関係にあるということになる。しかし、私は戸籍登録をされておらず、また小学校にも通っていなかったので、私が何者なのか、また私の両親だと思われるその二つの死体が何者なのか、ということについては遂には判明しなかった。私は10歳の体を持ったまま、ある日この世界に何の前触れもなく降り立ったということになる。全く必要のない前世の記憶を所持したまま。
 これは私にとってかなりきつい出来事だった。どうして、と思いつつ神を恨んだりもした。記憶を頼りに、前世の人生で過ごした場所や生まれた場所、死んだ場所を訪れたりしたが、今回の人生とは何の関わりもないようだった。なぜこの世界に私は生まれてきた? しかも前世の記憶を持ったまま。混乱し、いわゆる絶望を味わい、この世界からいなくなってしまおうかとも考えた。しかし、もしかしたら私のこの人生に何らかの意味があるのかもしれないと思い、自殺することは踏みとどまった。だが、この人生の意味を知るためには私の10歳までの記憶を呼び起こす必要がどうしてもある。
 
 
 だから、私は今泉を「造った」のだ。
 
 
 詳細は省くが、25歳の人間に無理やり人格と記憶を入れた。どのような人生を歩んできたか、かなり細かい部分まで設定を練り上げ、それを使って一人の人間を作り出したのだ。いつどこで生まれたか、両親はどんな人なのか、祖父母はどこ出身か、何年前の今日は何を食べたか、そして10歳の時に両親が殺されると何を感じ、その後どのような人生を歩むのか。全て私が考え出し、今泉という人格にその記憶を入れてみた。私が歩んできたであろう人生を、私が考え出し、私以外の人間にその記憶を植え付けたのだ。記憶における空白は、「なぜ彼の両親が殺されたのか」という部分だ。それ以外の部分は基本的には全て作り出し、日々アップデートしている。それによって、10歳で両親が殺されるとは、どのような人生を歩めば起こり得ることなのかということを、可能な限り再現をしているのだ。
 ただ、あまり細かい部分まで作り込んでしまうと、自由度がなくなり、先程のように私が作った設定を話すだけの存在となる。逆にあまり大雑把に作ってしまうと、一人の人格が崩壊してしまう。ある程度の自由度を残しつつ、毎日あのような茶番を繰り返すことで、今泉が私の設定したこと以外の記憶を話してくれる日を、あるいは私自身が会話の中で何かを思い出す日を、私は待ち続けている。
 しかし、今のところその試みは成功したとは言い難い。今泉はさっきの会話のように、ただ私が設定したことだけを垂れ流すだけとなっている。ちょっと経ったら今泉を回収しに行かなくてはならない。今頃は両親が殺された公園にいることだろう。そのように設定してあるのだ。あの辺りは人通りも少ないし、誰かに話しかけられても一応最低限の会話ができるようにしてあるから、何か問題になることはないと思うが、万が一設定したこと以外の行動をするとも限らないので、早目に回収に向かうとしよう。もし、今泉が設定したこと以外の行動をしてくれたら、私にとっては願ったり叶ったりなのだが。ただ、油断は禁物だ。「今泉」という名前の刑事は、この世界には存在しないのだから。
 
 
 「私」という人間は一体何者なのだろうということをよく考える。
 私の持っている記憶は10歳以降のものと、前世のものだけだ。今泉は私の作り出した記憶に沿って人生を歩んでいる。しかし、私の記憶も誰かが作り出して、私に植え付けたものなのかもしれない。もしかしたら、今泉自身が私に植え付けたのかもしれない。それを否定する材料を私は持ち合わせていない。一昨日の夕飯ですら覚えていないのだ。もちろん日記を取り出せば思い出すことはできるけど、しかし、その思い出すら作られたものではないと、どうやって証明ができるだろうか。
 
 記憶。「私」が「私」になるために必要なもの。私は一日も欠かさず日記を書いている。15年前のあの日から。もし、今泉が何かを思い出したとして、私はそれを信じることができるのだろうか。分からない。いっそ私が作り出した記憶の中で生きていく方が幸せなのかもしれない。そんなことさえ考える。
 
 私は明日もあの茶番を繰り返すだろう。私の両親を殺した犯人を思い出すために。私の失われた記憶を取り戻すために。私自身が何者かを見つけるために。