ちょっとここから愚痴
ちょっと愚痴……。
評を入れてもリアクションがあることが少ないので、独り相撲をやっている気がする。オフラインの歌会だと他の人の読みや作者の意図が聞けるので、オンラインはあんまり歌会をやっている感じがしなくて、長い評を書く人とかどうやってモチベーションを保っているんだろう。
私も100%コメントに返信するわけではないし、返信を必ずほしいわけでもないのだけれど、なんかもったいない気がして。もう少し歌に近づきたいと思う。この歌は特に誰かに伝えたいわけではないとか、読みが浅いだけと言われたらそれまでなのだけれど。
短歌は場の文芸という意識があって、共感性が全面に出ることが多いので、歌についてあーでもないこーでもないと言いながら完成に近づいていくような気がするのだけれど。そもそも題詠というのが、一つのテーマでそれぞれの作品を出しているので、意見交換が大事な気がしないでもない。
よく分からなくてコメントした歌でも返信が返ってこなくて、でも選は入ってるから自分の読みが浅いだけなのかなあとか、読みが浅い人間は評や選をすべきでないのかとか思ってしまう。そもそも向いてないのかもしれない。
色々流れが早くて、私は一首を作るのも、一首を読むのも時間がかかってしまうから、「いちごつみ」とか、どんどん新しい短歌が消費されていってしまうように見える。別に「いちごつみ」をやる人を非難するわけじゃないし、それは才能のある人達だからできると思うのだが、どうにも多作多捨が肌に合わない。時間をかけたからいい歌が詠めるわけでもないし、そんなこと言っているから上達が遅いのだろうが。
と、今日乙嫁語りの二巻でアミルさんとカルルクさんが、馬に乗りながら詩を詠み合う場面を見て、まさに「いちごつみ」じゃん!と思ってしまった。ということは、みんな目に見える風景をただ詩にしているだけなので、「いちごつみ」をやっている人はやっぱりすごいなあと思う(どっちだ)。
草原よ月よ太陽よ山よ空よ全ては二人の詠われる詩[うた]
あと、何分で作った~、という話も苦手で、あんまり言うのは作品にも読む人にも失礼な気がするが、どうなんだろう。私もたまに言い訳がましく言ってしまうけど(そして落ち込む)。
人間が苦手なんだと思う。架空の人物が何をしていても気にならないのに、実在の人物だと気になるって話がカラマーゾフの兄弟であった。
歌会に行きたい。