日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

名前を知らない鳥

 つらつら。雑記。
 
A. 写真
 
 遺影だけを集めた写真集ってあるのかなと思った。あとは死に顔だけとか。死体の写真を撮ること自体が疎まれるからなあ。
 
 大学の同級生が亡くなった時、まあ自殺だったのだけれど、その人のお父さんが火葬場でその人の死に顔の写真を撮っていて、係の人に嗜まれていたのをよく覚えている。周りの人にも配慮してほしいと。そのお父さんは、言い返していたけど。
 昔は写真を撮ると魂が抜けると考えられていたようだけど、死んだ人の顔写真を撮った場合、魂は抜けてしまうのだろうか。もう魂は存在しないなら、問題ないのだろうか。
 もし抜けるとしたら、魂はどこから来て、どこへ行くのだろうか。
 永遠に写真に閉じ込められてしまうのだろうか。
 
  なんて。
 
今ここでシャッター切れば魂は何処(いずこ)へ君の死に顔の前
 
魂よ戻れ あなたの左前銀塩写真で撮ったのならば
 
 
B. 技術
 
 短……歌、副詞と(特に)形容詞はなるべく使いたくない、名詞と動詞は三つに抑える、とか考え出すと技術と語彙力がないゆえに大体似たようなものというか、穴埋め問題のように作ってしまっている気持ちになる。プログラミングで作っているのと変わらない。キャッチーさを作ろうと固有名詞を入れたり。でもそれでポエジーが発生するかは人それぞれで、分かりづらいという可能性もある。一般名詞も使い方が下手なのか、J-POPと呼ばれる。なんだか広告のキャッチコピーみたいになってしまうし。具体的だと説明的と言われたり、抽象的だと分かりづらいと言われたり。うおー。強度というか、強さというか、パワーが目に見えたら良いのになあ。見えている人には見えているのだろうか。
 そういえば、昨今は3DだIMAXだ4DXだってあるけど、かまいたちの夜みたいな文字だけがひたすら流れる一次元の映画ってあるのかなと思って、調べたらそういうコンセプトの映画はあった。
 
 てか、アンデルセンが『絵のない絵本』って本を出している(読んだことはない)。あと、ノーマン・マクラレンという人もそういう前衛的な映画を作ったらしい。詩も全部空白にして、『4分33秒』です、みたいにしてもありだろう(知らない)。
 強さを考えた時、単純に文字を並べただけだと、平板である。強く構造的にするには? 立体的にするには? どう技術を使うか?  技術。句跨り・破調(字余り・字足らず)・句読点・空白・記号。絵や写真や動画や音楽と組み合わせたり、小説の途中に入れたり。意味のない文字列や、文字化け、口語・文語破調。二物衝撃や韻の踏み方、喩。個人的には喩の使い方が上手いと、景色が広がる感じがする。下手に使うと装飾過多の、生クリームベタベタ。それはそれで好きだけど。言葉自体に力がなくとも、技術の組み合わせ次第。ただただ読むだけではただごと歌。景色の切り取り方。スナップショットのような。何はともあれ、色々やりたいし、自分のスタイルを確立させたい。言葉の力を借りながら。
 思いつくままに書いている。もう少し勉強します。
 
 
C. 成熟
 
 国や民族、集団というものが、成熟するのか。人間は生まれた時は真っ白な状態で、歳とともに成熟していくと考えられているが、集団は? 
集団は人間の集合体と考えれば、構成する人間がどんどん変わってしまう以上、いつまで経っても成熟はしない気がするけど、集団として団結して思想が受け継がれていけば成熟していくのだろうか。
 自殺が教義の宗教というものがあったとして、それは最終目標が自殺である以上教義は残らないのだろうか、なんて考えてもう俺はダメだ。
 
 
D. やれること
 
 ひどい状態になると、何もできなくなって、爪を切るのが億劫になるところらへんが危険だ。その前に髪を切ることが億劫になるけれど。それで食事を摂ったり、排泄したり、シャワーを浴びたり、歯を磨いたり、寝たりということが億劫になる。その結末が見えているので、ひとまず爪を切ることはどんなに億劫になってもやっていこうと思っている。
 
 
E. 最適化
 
 最適化の話。
 意識高いことを考えていると、生産性に直結しない作業は全て無駄という感情に襲われてしまい、Twitterやゲームはもちろん、仕事とは関係ない本を読んだり、詩作をしたりなんてことも、生産性がないということになるだろう。働いてお金を稼ぐことと、子供を作ること、最低限の栄養と睡眠以外は全て無駄だと思うようになり、人生の最適化が発生する。本当にクソだと思うし、間違いなく幸福度が低い。ここまでくれば人生自体が無駄なのだから、今すぐ死んでしまうのが正解だ。やれやれ。
 
 
 というわけで、家に帰ったら爪を切って、睡眠をとる。少し読書もする。