日々のこと

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映画感想『Girl/ガール』

 激しくネタバレ。

 

  新宿武蔵野館で『Girl/ガール』を見た。正直なところ、自分には内容がかなり重く感じられ、夕方にジムに行く予定だったのにキャンセルしてしまったほどなのだが、それでも映画として惹かれるものがあったので、備忘録代わりに感想を記す。

 内容が重いと書いたが、映画全体の雰囲気も重たい。これはベルギーの映画なのだが、フランス映画にあるような救いのなさというか、冗談を一切言わない暗い空気が上映中ずっと流れていた。ハリウッドだったらくすっと笑えるようなジョークも全くない。主人公のララは時折笑顔を見せるが、ただの作り笑いに感じられ、心から笑っているシーンはクライマックス以外になかった。少年処女がダンスを踊ったり、泳いだりするシーンもどこか不穏な空気を感じてしまう。映画を見ている間はずっと緊張していたため、見終わった痕は、全身の筋肉が強張りすぎて、ぐったりと疲れてしまった。
 そして、映画の紹介にもある『映画史上最も鮮烈でエモーショナルなクライマックス』シーンは、直視することができず、目を瞑ってしまった。実はクライマックスについては予めネタバレをされていたため、実際のシーンは見なくても内容を知っていたのだが、正直な気持ちとして、見なくて良かったとさえ思っている。見たら、多分明日まで引きずっていたと思う。ただ、目を瞑っていたため、そのシーンのララの声だけが耳に響いて、却って辛い気持ちになってしまったというのはあるが。
 
 この映画におけるテーマがトランスジェンダーということだけれど、それに加えて、思春期におけるアイデンティティの混乱、葛藤も一つのテーマだと感じた(というより、こっちがメインかもしれない)。もちろん、トランスジェンダーは、その人自身にとっては思春期と別にしても、深い葛藤をもたらすものだと思う。自分自身の性自認が異なる、かつそれが思春期に明らかになることで、深い混乱が生じる。経験したことがあるものなら分かるが、思春期は訳の分からないものだ。自分の体の変化に加えて、他者や社会との関わり方が変わってくる。自己の確立も同時に行われていく。この時期に、他の人達と違う自分というのが明らかになるのは(それが多くの人にとって有り得る話だとしても)、心の乱れをもたらす。例えば自分の手の形は少し変なのだろうか、少し毛深くないだろうか、ニキビがどうしてもできてしまう、学業、友人関係、etc.。その中でも性自認の問題は、順位をつけられるものでないにしても、重い問題の部類に入るだろう。
 こうした思春期の問題は、映画で大人たちが散々述べていたように、「焦ることはない」し「時間が解決してくれる」ものも多いと思う。しかし、まさに思春期を過ごしている当事者の少年少女にとっては、今抱えている問題は今すぐ解決しなくてはならないし(あるいはそう感じしまうものだし)、仮に時間が解決するものだとしても、解決に費やした時は返ってこない。もちろん大人になってしまった今となっては、大人の言い分も分かる。なぜあんなに小さなことでくよくよ悩んでいたのかと思い返す出来事もいくつか存在する。しかしながら、やはり青春時代は一瞬だし、その一瞬の間に冷静ないわゆる大人なつまらない判断を下すのはするべきではないとすら私は思う。
 この映画のララが抱えていた問題についても、ゆっくりと時間をかければ解決しうる問題であるように感じたし、そのように描写がされていたようにも思う。しかし、それは何度も言うように大人の立場の意見であって、彼女にとっては一秒でも早く解決するべき問題だった。例えが適切ではないかもしれないが、ニキビは潰すべきではないと知りながらどうしても我慢できずに潰してしまうように、ララは自らのペニスを切り落とすことを選択した。そこからの一連のシーンは確かに『映画史上最も鮮烈でエモーショナルなクライマックス』だった。しかし、私はそれを直視することができなかった。あまりにも鮮烈だったし、あまりにも眩しかったし、あまりにも悲痛だったからだ。
 
時が癒やす?時が病気だったらどうするの?
 
出典:映画『ベルリン・天使の詩

 

 これも例えが適切ではないかもしれないが、もし自分の小指が気に入らないとして、それを切り落とす人が何人いるんだろう。私にはとてもできそうにない。しかし、それを成し遂げる人もいるだろう。それを想像するだけで、胸が苦しくなってしまう。
 
 映画を見終わったあとにWikipediaを見ていたら、批判意見もいくつかあった。そして、その意見についてもやはりというか、そういう批判が出るのも無理ないかもと思える。
 
 ただ、Wikipediaにも書いてあるララのモデルになったノラ・モンスクールの言葉の通り、
「『Girl/ガール』はすべてのトランスジェンダーの経験の表象などではなく、私自身の人生経験の語り直しである」
「『Girl/ガール』は私の物語を、嘘や隠し事なく語っている。ルーカスや主演俳優がシスだからといって、ララのトランスとしての経験は正当ではないという意見は、私を傷つけている」
ということだろう。この映画は一人の人間の青春時代の物語であり、何か社会問題について深く論じるための映画と捉えるべきではないかもしれない(ただ、この映画が何かに誤解の種になってしまう可能性は含まれていると思う)。
 
 また映画はバレエの練習シーンが多く、その場面も痛々しく感じる。構成として単調で、退屈と感じられる場面もあるのだが、それでも目を離すことができない力がある。それはララの葛藤がきっと誰もが感じたことのあるような普遍的なものだからなのだと思う。万人に勧められる内容ではないとは言え、一度見るときっと心に重い感傷と、深い感動をもたらす映画だ。