日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

占いの話

 まあ、社会。どこへ行っても。
 信心深いので、正月は神社とお寺に行った。教会とかモスクには行かない。おみくじが引けないから。それで、どこに行っても、おみくじを引く。どこに行っても、おみくじには大大大凶と書いてある。今世はもう怪しい。生まれ変わったらバニラのにおいがするタイニーな女の子してください!それで、25歳位で惜しまれつつ事故か病気で死にたい。
 
 おみくじと言うか、占いの信憑性は如何程だろうか。血液型占いは人間を4種類に分ける。星座占いは12種類。誕生日なら366種類。それに生まれた年も加えればかなり細かく分けることができる。
 高校の頃に同じ日に生まれた人が自分を含めて三人いて、そのうち私以外の二人は東大へ進学した。私は行かなかった(行けなかった)。その二人のうち、一人は山梨にいて、もう一人はオーストラリアにいるらしい。二人とも結婚はしている。でも、別の機会に同じ年、同じ日に生まれた人と会ったことがあるが、その人は大学に行ったかどうかは知らないが、ベトナムとかを放浪して、今は美容師をやっている。結婚はしてない。そんな感じ。同じ年、同じ日に生まれた人間でも、生き方・考え方には大きな違いがある。同じ時間を生きてきたという事実だけだ。
 
 では、誕生日占いもあまり信憑性がないのか。
 
 誕生日で占ってもらったことが一度あって(名前も見てもらったかもしれない)、その占い師の人は「運勢は統計学で説明できる」と言っていた。正直それを聞いた時は嘘くさいなと思っていた。人間の運命なんて分かるはずがない。神はサイコロを振るものなのだ、とその時は思っていた。
 でも、最近は極端に運命論を否定するものでもないかもと思うようになってきた。
 理由はいくつかあるけど、まず世界というのは毎回リセットされてある日突然できていくものではないということ。昨日食べたものが今日の自分を形作るように、昨日の人間の活動が今日の世界を作っていく。だから、世界は毎回毎回サイコロを振るゲームをしているわけではなく、サイコロを振りつつ進んでいくすごろくをしているようなものだ。そして、そこには当然人間の考え、総意が含まれていると思う。どうすれば社会を上手く構築し、運用していくのか、それをみなが考えながら動いていっている。そうでなくては、社会は構築できない。税金を集め、予算を編成し、国や社会は運営されていく。独裁国家でもない限り、そこに個人の強い意志が介在することはないだろう(社会学知らないけど、多分)。そうすると、そのうち社会には流れと呼ばれるものが出来てくるではないだろうか。
 生まれた日がその人の運勢をそのまま決めるわけでは、もちろんないだろうが、流れというものがあるのであればそれの影響は受けてくるはずだ。昔はもっと極端で、丙午の年に出生した者は気性が激しいと言われていて、特に女性は夫となった男性を早死にさせるという迷信があり、出生率が極端に低かった。厄年についても身体の不調を感じやすくなる年だというのはよく聞く話だろう。ゆとり世代という単語自体には意味はないが、世代を作っているのが人間なら、世代の影響を受けるのもまた人間だ。
 こういう社会の流れについて、占いを「統計学」と呼ぶのであれば、もしかしたら一理あるのかなと思った。もちろん、生まれた日が一日違っただけで、全然違う人生を歩むかというとそんなことはないし、基本的には生まれ育った環境と、本人の資質がその後の人生を決めていくだろう。それに占いというのはファジーな表現をするものだし、どうとでも解釈できるものだから、それはもう受け取り方次第と言えるかもしれない。
 正直昔は科学に傾倒していたこともあって、占いの類は胡散臭いものだという認識しかなかった。占いを受けてみるというのも身構えてしまうものであった。占いの結果なんか聞かずにコツコツとやっていけばそれでいいと思っていた。しかし、実際はずっとコツコツやっていくのはしんどいものだし、長い人生は良いときもあれば悪いときもどうしても存在する。
 その時に流れというものを感じながら、自分の力を100%出すのが大事なのかもしれないと思った。結局その手助けをするのが占いというもので、あくまで自分の力を如何に出せるかが重要だろう。
 もし、誰にも頼らずに一人で生きていくのであれば、占いは意味のないものかもしれないけど、実際は色んな人と関わり合いながら生きていくものだし、誰もがロボットのように生きているわけではなく、自分の意志である程度選択しながら生きているのだから、どうしても統計的な流れや傾向が出てくるので、そうしたものを占いという名に反映させているだけだとしたら、なるほど納得だなと思う。
 
 相変わらずのまとまりのない文章だけど、占いを信じるか信じないかという話より、こういう社会の流れに気が付かずに呑み込まれていて、そのまま流されていくのが怖いなと思う。流されていくことを、占いを通して感じることができればいいけど、おそらく気付かずにいるだろう。占いが当たったということは、逆にいうと社会の流れがそういう方向に進んでいって、それに巻き込まれているだけなのかもしれない。
 サイコロを振って10回連続で1が出たとしたら、それは何者かの介在を疑うか、そういう運命だと思うかもしれない。ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすかもしれない。誰が引いても大吉しか出ないおみくじは、別の運勢は印刷されているのだろうか。
 何も分からないし、運命も流れもないかもしれないし、あったとしても気づかずうちに流されるだけだろう。世界は五分前に作られたのかもしれない。
 
 何だか不思議だなあと思いつつおみくじを引くと、毎回大大大凶が出てくる。