日々のこと

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賭け(師匠シリーズ)

「師匠シリーズ」の「賭け」という話が好きだ。
ここで読める。
nazolog.com


「師匠シリーズ」が何なのかを一言で説明するのは難しいけど、
2chの洒落怖スレに「ウニ」という方が投下していたオカルト創作だ。
ウニ自身が大学の師匠と呼ばれる先輩とのオカルト体験を描いたもので、
怖い話というよりは、不思議な話や民族学的な話が出てきて、非常に面白い。
書籍化もされているのだけれど、以下のページで大体全部読める。
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閑話休題

「賭け」は、ウニが師匠を誘ってパチンコ屋に行ったあと、
二人して大負けをしてしまい、
その帰り道にパチンコで負けて自殺した人の幽霊を見るという話だ。
その中で、「パスカルの賭け」という言葉が出てくる。
以下に引用する。

神が存在している方に賭けるべきか、存在していない方に賭けるべきか、という問いに対して、
科学者としても名高いフランス人、パスカルはこう答える。
神の存在に賭ければ、勝った時に得られる祝福という名の喜びは無限大であり、
負けた場合、すなわち死後が虚無であったとしても、それは誰にも等しく訪れる運命である。
それに対し、神の非存在に賭けたなら、勝利とはすなわち死後の虚無を認めることであり、
敗北とは、祝福という名の喜びを放棄することに他ならない。
神の存在に賭け、その意に適うような生き方をすることは、苦痛であるかも知れないが、
勝てばそれを補って余りある幸福を得られ、例え負けてもその苦痛は消滅する。
非存在に賭け、現世の利益だけを追求したとするなら、
勝ってもその利益は虚無の中へ消え、負ければ祝福という永遠の幸福を失う。
だから神の存在に賭けるべきだと。

 
神の存在証明の話だが、つまり

1)神の存在に賭け、その意に適うような生き方をする場合

・勝利(神が存在する)
→死後に永遠の祝福を得られる

・敗北(神が存在しない)
→死後は虚無だが、それは誰にも等しい運命である

2)神の非存在に賭け、現世の利益だけを追求した場合

・勝利(神が存在しない)
→死後は虚無であり、現世の利益に意味はない
(あるいは神のいない地獄へ行くことになる)

・敗北(神が存在する)
→死後に神の永遠の祝福を失う

ということで、神がいるかどうかは別として、
合理的な考えとしては神の存在に賭けるべきだとパスカルは述べているという話だ。

それに対して師匠は生き方としてはそれでいいのかもしれないけど
死に方としてはどうだろうかとウニに問いかける。
それに対しウニは問自体がナンセンスだと考える。

「『生き方』としては、その賭け方が正しいかも知れない。でも『死に方』としては、どうだろうか」
パスカルの言う神とは、もちろんキリスト教のそれだろう。
自殺を認めていない宗教なのだから、本来その問い自体がナンセンスのような気がする。

しかし、それを見越していたかのように師匠は更に畳み掛けて質問をしてくる。
そして、最終的に以下の問いをウニに突きつける。

「そうだ。だからさっきの問いは、『消滅を求めての自殺は、賭けとして合理的か否か』に置き換えられる」

 
これは少し複雑だ。
さっきのように分割してみよう。

1)消滅を求め自殺する賭けを行った場合

・勝利(消滅する)
→特に何もない。おめでとう。あなたの存在は消え去った。

・敗北(消滅しない)
→消滅できない。つまり、死後の世界が存在することになる。おそらくは幽霊として存在することになる。

これだけだ。
たしかにこれだけに見える。
損得の問題というよりは出てきた結果をどう受け取るかという話に感じる。
死後の世界が存在することは、消滅を求めていた人にとって損であるのか。
それはその人にとって敗北なのか。
現世に恨みを持って、幽霊として現れるほどの。

師匠は最後にこう述べる。

「僕たちはその問いの答えを、損得の理論によって導き出そうとはしない。
 何故なら、観察の結果がそれに代替するからだ」

「でも僕たちは、その観察の結果を正しく理解しているのだろうか」

「最近、僕は疑うようになっている。
 『あれ』らは、僕たちが思うような、『僕らが死んだあとの続き』なんかではなく、
 僕らの想像の及ばない場所から、僕らのような姿形をしてやってくる、まったく別のなにかなのではないかと」

 

実は、何度読んでも結局作者が何を言いたいのか分かっていなかったりする。
ただ、現世に絶望し、来世にも期待せずに消滅を求めて自殺した人が、
幽霊となって現れ、あまつさえ現世の人々に影響をあたえるのだろうか、
ということを言いたいのではないかと勝手に解釈している。
師匠はそれに対し、我々が見ている幽霊は、死後の世界からやってきたのではなく、
全然関係のない世界からやってきたのではないかと述べているのだ。
ここまで考えると、肝が冷える思いがする。
幽霊と名前をつけ、死後の世界からやってきたものだと定義してしまえば
わけの分からない存在ではないと思い、
不思議なことに恐怖心というのは薄れていく気がする。
しかし、それが全く関係のない世界のものだったら。
それは、きっと、原初的な恐怖を呼び起こすに違いない。