日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

幸福論

 幸福度を上げたい。
 あり余る富とか、無限の睡眠とか、満漢全席とか、回らないお寿司とか、そういうのもほしいけど、とりあえず一時間長く眠るようにして、良質な睡眠のための運動とか温かいココアとか、行列のできるラーメン屋とか、そんな感じから始めたい。新宿の「らぁ麺 はやし田 」は食べログ高評価というだけあって、美味しい。「麺屋 翔 本店」も塩も良いが、水曜限定の味噌ラーメンも美味しい。
 
 酒も良いけど、酒は弱い。煙草は煙い。薬は依存症が怖い。幸福度はちょっとずつしか上がらなくて、しかもそのうちに慣れてしまってなかなか上昇が鈍くなっていくのに、不幸度は一気にやってきて、しかも慣れることがない。いつまでも慣れない。変な汗がずっと出る。
 大人になるって、嫌なものとも付き合わなきゃいけないもんだと気づいてしまって、まあそれによって得られる関係性とか、生活のための金銭とか、そのためには仕方がないのだけれど。だから、嫌なものと付き合えるように、不意に目にした悪意に自分がやられてしまわないように、少しずつ自分の幸福度を上げておく必要がある。無意識に悪意を撒き散らす人を見た時に、自分がそれに呑み込まれてしまわないように、どうせ向こうは何も感じずにパフェとか食ってるんだろうから、こっちも気にせずにパフェでも食べようかと(「珈琲西武」のパフェは好き)、悪意をスルーできるようにしておこうと。
 
 でもそうそう上手くはいかなくて、気がつけば肩は凝るし、腰は痛いし、変な汗で体中はベトベトするしで、散々である。何でそんなに幸せになりたいのかと言うと、生きることを肯定したいというのと死なないようにするためで、なんで生きたいのかと言うと、結局生きることを選択してしまったからである。何の因果か、最初に生まれることがあって、そこから死ぬことではなく生きることを選択してしまっている。人生の意味とか、目的とかそういうのは別にして、とりあえず生きることを選択している。そういうシステムなのか、ただ選択させられているような気もするが、とにかくそうなっている。どっち選んだって良いはずなんだけど、表面上は自分が選んだということにして、やっていきたい。
 そんな感じで、向こうがパフェ食ってるならこっちもパフェ食っているアピールして、いや自分は幸せなんで、全然大丈夫なんで、と空元気をアピールしつつ、ラーメンも食べ、ついでに餃子もつけて、なるべく早めに何も考えずに眠れますように。
 

あ、嫌だなあと思う。
怒っている。感情的になっている。
頭に血が上っている。
それなのに。
 
胃の辺りに冷たい石を置かれたような気持ちになる。
冷たい、冷たい、石。
ずっと、どこかの遠い山奥の、もう誰もそこには訪れないような、獣や鳥ですらそこに訪れないような、誰からも忘れられてしまったような場所にあった、そんな石。
それが、私の胃の辺りに、コトリと置かれる。何かの間違いみたいに。
なんでその石がそんな辺鄙なところから、私の元にやってきたのかは知らないけれど。
それでも、そういう間違いって、世の中にいくらでも転がっている。
石の大きさは分からない。大きいような、小さいような。
ただ冷たくて、固い、ということだけが分かる。
 
体は熱いのに、石の置かれた胃の辺りだけはいつまでも冷たい。
そして、それがそのうち、当たり前みたいに、少しずつ周りを侵食していって、私の胃も石化していく。
私の胃は、冷たい、冷たい、石となる。
侵食は止まらない。
どこからか私の体の熱と、石の冷たさとのせめぎ合いになる。
しかし、それがいつまでも続かないことは分かる。
いつまでも熱を帯びていることはできない。いつまでも怒りは持続しない。
そして、私はどんどん冷たく、固くなっていく。
後悔、だけが残る。

飲んだら酔うという話

 自分語り。
 
 本格的にお酒が弱く、ビールでもコップ一杯で顔が赤くなる、所謂酩酊状態になる。エタノール分解酵素を持ち合わせていないのでは、と思うほどである。そういう種族なのだろう。それに加えて、一時期抗うつ剤を飲んでいたために、お酒を控える必要があり、さらにスポーツジムに通うようになってからは、あまりお酒を飲まなくなって、半年に一回くらいしか飲まない。何かの会(懇親会など)でも飲まないことが多い。更に言ってしまうと、お酒の席での粗相をしたことが5!回(5の階乗、120回)ほどあるため、個人的に初対面の人の前で酒を飲むのはやべえなと感じている。
 昨日、高校時代の友人と会い、久しぶりにお酒を飲んだのだが、やはり一杯で酩酊状態となる。しかし、それで緊張状態が解けるのは事実であり、楽しい時間を過ごすことができた。昨日の会の趣旨は半年ぶりに会う友達から漫画を借りるというものだったのだが(強奪に近い)、漫画やCDの貸し借りという文化がまだ我々の間に続いているのだ、と考えるだけで嬉しくなる。
 余談だが、私は今は無き三洋電機の研究所に二週間ほどインターンシップに行ったことがあり(大学の単位のため)、インターンの間は三洋電機が所有していた群馬の社員寮に住まわせてもらった。ちなみに、インターンの歓迎会でも当然粗相をした。その寮内で仲良くなった社員の人がいて、休日は車で近くのショッピングモールに連れて行ってもらったり、冬目景さんの「羊のうた」と「イエスタデイをうたって」を貸していただいたり(「イエスタデイをうたって」はまだ連載途中だったが)、くるりの「ベスト オブ くるり -TOWER OF MUSIC LOVER」も貸していただいたりした。私はその後三洋電機に入社しなかったし(というか三洋電機自体がなくなった)、その人に恩返しすることもできず、というか実際何の研究をしたのかさえよく覚えていないのだが、その人が車でかけてくれた、くるりワンダーフォーゲルのイントロが今でも覚えている。
 
こういうの古いのかもね。でも僕らは、本を貸し借り文化を残す(短歌です)
 
 今日は若干二日酔いになってしまって、私は朝起きるとなんかやりたいことを色々考えて、時間の使い方を逆算したりしなかったりするのだが、今日はもういいかという気持ちになって、まあいつも別にスケジュール通りに行動はできないのだけれど、今日は殊更どうでもよくなってしまって、酒を飲めば飲むほど何もかもがどうでも良くなるタイプの人間であるなと感じ、やはり酒は控えるべきだろうかと思った。でもなんかリラックスした文章が書けた。
 
 面白さを優先しがちなので、それが人の心にどのように影響するのかが分からない。人の心が分からない。というか、面白くないかもしれない。なんか面白くないですか、みたいな感じで作品の解説をしてしまう。
 さっきから、あと一回パスワードを打ち間違えるとアカウントがロックされる画面を眺めていて、ロックされたら面白いかなと思う。
 
ログインが出来ない画面あと五回失敗したら面白そうだ(短歌です)
 
 みなさん、お酒はほどほどに。

サイド

サイド、サイド
上から声が降ってくる
どういう意味? と尋ねると
もう一度という意味だった
 
サイド、サイド、サイド、サイド
容赦なく声が降ってくる
もう無理だよ、終わりにしよう
僕の叫びは無視される
 
サイド、サイド、サイド、サイド
途中から数を数えるのを諦めた
声が止む、気配はない
 
サイド、さいど、再度、side
ああ終わる、と思ったら終わった
帰ってきた
おかえり、と言われる
ただいま
もうループは懲り懲りだ