日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

夢の中へ

夢の世界に行く前に
実は飛行機に乗っている
少し贅沢に
ビジネスクラスなんかにして
上等のサービス
うまい酒と
うまい食事と
ゆったりとした座席
でもその時の記憶はない
 
夢にいるとき
俺は俺ではないか
もしくは存在を黙殺されていて
どちらにしろ
誰も俺のことを覚えていない
俺は忘れられた
絶滅した獣だ
 
飛行機に乗っている間は
飛行機雲を見ることができない
夢の中にいる時は
現実世界の俺を見ることができない
夢に尻尾みたいに付随している
現実世界の俺が
真っ直ぐ空に伸びてゆき
そして消えてしまっても
夢の世界の住人は
誰も気づかないんだ
それがとても寂しい

超丁寧な暮らし

丁寧な暮らし
歩みは遅く
一歩ずつ
確実に
よく噛んで
ゆっくり食べる
 
手作りの絵本
284色のクレヨン
木造図書館
結末の変わり続ける物語
 
鉱石ラジオ
ランタン
手作りベーコン
銀色のソーダ
 
三十年かけて育まれる愛
終わらない旅
ハングリーストライキ
瑪瑙の水楼
スロウカーブ
僕と君のログ
 
丁寧に生きていくこと
と同時に死んでいくこと
一瞬を切り出して
コルクボードに貼り付けてみる
 
丁寧すぎて
短すぎる寿命
散骨
再 会するための

バイト日記その1 選挙(だがその2はない)

 先日選挙の手伝いのバイトに行った。このブログを読んでいる人の中には(画面の向こうのあなたです)、選挙のバイトって何やねんって感じかもしれないが、投票会場でアレやコレやする仕事だ。なぜ、今回この労働を行ったかと言うと、純粋にお金がないからである。純粋金銭欠乏症である。お金がないとどうなるか? 人生は無課金では過ごせないようになっており、私の場合は、お金がないといずれ同質量の塩になってサラサラと風に流されてしまう。孟子曰く、水は低きに流れ、人は易きに流れる。万物は流転する。しかし、労働をすればお金を発生させることができる上に、人間としての同定が可能だ。労働という無から、賃金という有が生まれる。プチビッグバンである。すごい。労働が無課金どころかマイナス課金でできるなんて、素敵だと思いませんか?
 仕事内容の詳細を言ってよいのか分からないため言わないが、簡単に言うと、会場で本人確認をしたり、投票用紙を渡したり、人間を会場へ誘導したり、会場から追い出したり、観察したりする仕事である。選挙に行ったことがある人は、椅子に座って忙しなく振動をしている存在を見たことがあるでしょう。あれは大いなるものの一部であり、あの日の私もそうでした。ちなみに、所謂「選挙立会人」と呼ばれる、椅子に座って振動すらしていない人々(しかし近くで観察すると、大陸のように実はゆっくりと移動しているのだ)は、その地区の町会だかなんだかの人がやるらしく、労働の区分ではないらしい。
 この労働を始める前は、『投票率も最近は下がっているらしいし、そんなに人も来ないだろう。座っているだけならめちゃ楽じゃん』と考えていた。もちろん、この考えが間違っていたことを、後に歴史が証明することになる。投票率が下がっているとは言え、それを見越して会場の労働者はギリギリで手配されるし、なんだかんだ何千人もの人々が一日で大挙してやってくるので、映画の「300 〈スリーハンドレッド〉」のようにその全てを対処する必要がある(映画未見)。この日だけで、投票用紙が出てくると同時に機械から発せられる「区議会選挙です」という無機質な声を何千回と聞かされた。これだけで気が狂いそうだ。気狂いピエロ。思考を無にしながら、本人確認や選挙の紙を渡す作業を腱鞘炎になりかけながら行った(仕事はローテンションで回された)。ちょっとでも気を抜くと、意識が飛んで永遠と投票用紙に「マック赤坂」と書く地獄に入り込み、もうこの世界に帰ってこられないような気がしたため、なんとか最後までやり通した。ちなみに、所謂「選挙立会人」と呼ばれる、椅子と机の中間の生命体のような人々は、選挙の始まりから終わりまで永遠に選挙会場をさまよい、座ること以外のことをしたいと思ってもできないので、カーズ様のように考えるのをやめることとなる。彼らは人間が紙に鉛筆を滑らせ、その紙を箱の中に入れる作業を一日中眺めることになる。村上春樹ねじまき鳥クロニクルの主人公のように、一日中新宿駅の前で人の流れを見ている行為に近い。いくら座っているだけとは言え、私にはちょっと無理だなとこの一日で感じた。めちゃくちゃ楽とか思っていてすみません。
 
 まあ、なんだかんだ一日を終え(朝6時半集合だったため4時半に起き、会場の後片付けを含めて終わったのが21時)、色々と良い経験になったなと感じた。賃金は三分の一で良いから、拘束時間を半分にしてほしいと思ったのは内緒だ。
 選挙に来る人達も、選挙に行くと思っている時点で民度が高いのか、私が多少受付でもたついてしまっても、怒鳴ったり殴ったり地下送りにしたりせず、「お疲れ様」と声をかけてくれた。何気ない人の優しさに、ふと涙が零れ落ちた。
 
何が どうしたの わかんない 聞きたくない
クツが 片方 どっかに 消えた
俺は どうする どこに 行こう
でもね 本当は 本当は
 
朝になってた カラスの親子 呼び合ってる
俺はちょっとだけ 嬉しくなって 立ち上がる
 
涙がこぼれそう でラブコール あの娘にラブコール
涙がこぼれそう でラブコール あの娘にラブコール
 
『涙がこぼれそう』/The Birthday 

 

 若い人は全然来ないと思っていたが、そんなこともなかったし(我が事感があるためか、小さい子供を連れた夫婦が多かった印象)、18歳くらいの人も結構来ていた。ただ、投票率は50%を切っているというのは事実としてあって、若者たちをどうやって選挙に行ってもらうか、というのはこの先の課題であるとは感じる。
 思うに、現状選挙に行かない人は、きっと齢をとっても行こうとは思わないだろう。選挙に行くという行為に価値を見出だせないからだ。しかし、この先老人が死に、選挙に行かない若者たちが齢をとっていき、若者の数も増えないと思うと、今選挙に行っている人たちの一票の価値がどんどんと重くなって、選挙に行く人が有利な国になっていくと思う。その時に、今まで選挙に行かなかったことを嘆いても遅い。現状は選挙に行くことに価値を感じなかったり、選挙に行っても何も変わらないと思ったりするのは、確かに私も同意をしたくなるが、ひとまず行くという習慣はつけておいた方が良いように感じた。地方選挙なんかは結構票が拮抗しているので、自分の一票が政治を左右しているのをひしひしと感じることが可能だ。期日前投票も、実は2003年に始まった比較的最近制度で、また手ぶらで行ってもその場で住所確認をしてくれて投票が可能で、選挙がしやすい体制は徐々にできているのではないだろうか。そのうちネットで投票することも可能かもしれないが、一般人が政治に関われるのは本当に選挙くらいだから、特に気負いをせず、政治に関心があるという意識を高めるためだけでも、選挙に行かない人は、今度の夏の参議院選挙に行ってほしいと思う。

プラスチック

クリエイティブの死
保存された何か
僕、私、何者でもない生
 
カバンにはいつも
プラスチックのナイフとフォークが入っている
それらを使って
いつか食べたい
たくさんの美味しいもの
生きるために
必要な栄養素
たん白質
ヴァイタミン
無機物
 
パンケーキに
蜂蜜をかける瞬間が
一番幸せだ
その黄金の液体
トロリと融けかけた
バターとの融合
プラスチックのナイフとフォークで
丁寧に切り分ける
綺麗に八等分する
完璧な真円
三百六十度の円から
四十五度分の扇を切り取り
口へと運ぶ
 
僕は僕の
必要なものだけを口にして
大きくなりたい
プラスチックのナイフとフォークで
美しいものの
そのほんの一部だけを
切り取って
口にして
もうそれ以外は
何も食べなくても済むように
そうなりたいのだ
だからこそ
いつだって
美味しいものをだけを食べられるように
プラスチックの
ナイフとフォークを
持ち歩いているのだ

詩について

窓際のディスプレイにはガラスの容器が置かれている。
僕はそれを遠くから眺める。有り体に言えば、ガラスには外からの光がキラキラと反射してとても綺麗だ。
一歩ずつそれに近づいてみる。ゆっくりと、慎重に、音も立てずに。
そうやって近づいていくごとに、印象が変わることに気がつく。
遠目に見たときには、ぼんやりとしたものが、よりはっきりと見えることに気がつく。
 
しかし、目の前に立ってそれを手にした時、僕はひどく後悔をしてしまう。
床に叩きつけて粉々にしたくなる。
僕の手には負えないものだったのだ。
手にとるべきではなかったのだ。
それは大事に棚の中にでも閉まっておくか、
アクリルケースに入れて誰の手にも触れないように展示しておくべきだったのだ。
 
僕は詩を読む時に、それに似た感情を抱く。
初めはただキラキラと輝いている全体が見え、僕は一瞬のうちに目を奪われ、
そしてゆっくりと近づくかのように、一文一文を丁寧に読みながら、細部を解き明かそうとする。
僕の中の扉は開かれていて、光が余すことなくもたらされる。
でも、それは子供が無邪気におもちゃを解体するようなもので、何も考えてないのと一緒だ。
子供はバラバラになったおもちゃを見下ろして、泣き叫ぶことになるだろう。
それはおもちゃを失ったことの悲しみではなく、自分自身の愚かさを嘆いているのだ。
僕も同じだ。
僕が詩を解き明かそうとした瞬間、その輝きは永遠に失われ、僕は自分の愚かさにひどく嘆くことになる。
あるいは僕の中の、もう閉じてしまった扉の前で呆然と立ち尽くすことになる。
扉には鍵穴はなく、あるのは一面の白い壁に似た、いや結局それは扉ではなく壁なのだろう。
そこに寄りかかり、何度詩を読んでみても、何度呼びかけてみても、何も返ってこなくなる。

再会と再開

 もう何年も会ってない人と、偶然街で再会をした。そういったことは人生においてそうそうあることではないが、全くないことでもない。久しぶり、偶然だね、元気だった、といったお決まりの会話がなされた後、お互いに用事を抱えていたので、今度ゆっくり話をしましょうと言い合い、連絡先を交換して別れた。それが一週間前。二週間後の土曜日に会う約束をしている。
 次に出会って、何を話そうか。お互いの近況報告を済ませ、過去の思い出話に花を咲かせ、それからは? 今更夢や未来の話を? この歳になって?
 単なる偶然にすぎないと言ってしまえばそれまでだが、奇妙な巡り合わせにも思える。本来であれば必要のない再会である。彼女と別れてから今まで、私の人生において、彼女の存在はそこまで質量の大きいものでもない。今まで私の人生において彼女の存在は必要なかったし、これからもそうだろう。極端なことを言ってしまえば、私にとって彼女は死んでいるのと同じだ。彼女にとっても、私の存在はきっとそうだろう。もし、街で偶然再会しなければ、彼女の死すら知らなされないままに私は死ぬまでを過ごしていたかもしれない。今なお、観測外の宇宙では、存在を知ることのない星が生まれては死んでいるのだろう。観測可能な範囲の宇宙の中ですら、私は星が消えたことに気づきもしない。幼い頃に勝手に名前をつけた、青く輝くその星も。
「この世界ではもう出会うことはないかもね。きっと次に会えるのは、別の世界だ」
 そんな感じのことをお互いに言っていた。本来出会っていけない存在。出会うべきではない存在。私が二週間後の土曜日に会うのはきっと死者だ。私は彼女にとっての死者として、彼女は私にとっての死者として、生者の世界でもう一度出会い、話をすることになる。なんだか、何かを冒涜しているようにも感じる。死者と出会う時、それに相応しい格好がある。相応しい場所がある。相応しい時間がある。私はきちんとそれを満たしているのだろうか。
 そうして再会をしてしまえば、本来起こってはいけないことが起こってしまえば、おそらく次の扉が開かれる。この世界ではない、どこか別の世界への扉が。私は(あるいは彼女は)、その世界に引きずり込まれる。私は今一度この奇妙な巡り合わせについて考えを巡らせてみる。そして、この前出会ったときの彼女の顔を思い出そうとする。しかし、うまくいかなかった。彼女の顔は、数年前に別れた時そのままで保存されていて、上書きがされていなかった。次に出会うことができれば、その顔は更新されるだろうか。おそらくされないだろう。死者は齢を取らないからこそ、美しく、尊いものなのだ。
 
 
 
短歌を始めるきっかけが、タイムラインに千種創一さんの以下のツイートがリツイートされてきたからというのをふと思い出して、なんか書きました。