日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

社会

 台風が来たので、頭が痛くなった。頭痛のままに書きます。なので、全部間違っている。
 
 相模原の殺人事件も、大口病院の事件も、LGBTは生産性がないとか、自民党改憲草案に権利には義務が伴うと書いてあるとか、何だか根っこのところは同じような気がしてきた。雑にまとめると余裕がないということだけど、格差が目に見えて開いている。しかも情報化社会のために、文字通りそれを目にする機会が増えている。
 世界史で見ると、人々が集団生活を始め、社会を形成したのは、恐らくそれが生きていくために有利だったからだ。狩猟民族でも、一人が見張りをし、一人が獲物を追い詰め、一人が獲物を仕留めるなど、役割分担をすれば、一人の人間が獲物を捕まえるよりもずっと仕留められる確率が上がる。そこには役割の違いはあれども、格差や階級というものははっきりと存在しなかった。
 その後、農耕社会となり、文明と言われるものが誕生すると、神官という階級が生まれた。その社会では、彼らが実質的な支配層だった。彼らの仕事は神の声を聞く、つまりは天候の予想だった。彼らは生産性という観点から見ると何も生み出してはいないが、それでも市民を支配することができた。彼らは天候を当てることができれば、そのまま市民からの崇拝を得ることができたが、逆に外してしまうと殺されてしまう立場だった。それとは別に、農業という一次産業を行うもの、道具を作る二次産業を行うものもいた。
 そのうち、集団同士で小競り合いが起き、支配層が被支配層からの攻撃を防ぐために、兵士と呼ばれる階級が誕生した。こうして、江戸時代における、士農工商が生まれる。一応、神官という身分はこの中では商人となる。彼らは何も生み出しはせず、右から左へ物や、あるいは物ではない何かを動かすだけだが、それによって冨を得た。
 現代でも神官が支配層になっている。未来を見通せると言われるものが、人々を支配している。彼らはSNSを使って、被支配層の不安を煽り、お金を吸い上げている。そして、被支配層に、こっちの世界は良いところだと言い出す。こっちにおいでと。騙されてそっちの世界に行こうとすると、また痛い目に遭う。
 もう少し、「自分は自分、人は人」みたいな社会だったと思うのだけれど、それはすでに一億総中流の時代の幻想なのだろう。格差が広がり、それを見せつけられて、上の階層からの煽りを受け、向こうの世界に行こうとすると逆に利用されてしまう。実際のところ、子供を生むことが生産性というのも、完全家畜化された世界観に思える。乳牛は経済動物と呼ばれ、自らが生み出した牛乳から得られる売上よりも、自分が食べる餌の原価が下回ってしまうと、その時点で経済的にはマイナスなので、屠殺されてしまう。生産性がないと行ってしまう人は、人間をそういう風に見ているのだろう。
 まあ、自分自身が自民党に対して怒りを覚えているとか、仕事の生産性がないということを嘆いているわけではないし(というか、生産性なんて言うのも所詮メルヘンに過ぎない)、この社会に絶望しているわけでもないのですが。むしろ、そこまで嫌いでもなくて、それはなぜだろうか。
 
 台風が去ると、また暑くなる。空が低く見える。暑いからまだこれを夏と呼ぶのだろう。そのうちに涼しくなれば、秋が来たと言ってしまう。目に見えないのに、秋が来たと言ってしまい、目に見えない秋を好きだと言ってしまうのだろうと思う。