日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

悪夢

 変な夢。
 前後の文脈は忘れたが、幼女に転生した痴女にキスをされ、「口では立派なことを言っていても、こうやって小さい女の子にキスされておっ勃てるんだ」と言われて、すごく嫌な気持ちになる。別におっ勃ててはいなかったのだけれど。どっちかというとただ単純に戸惑っていた。
 こういうシチュエーションのエロ漫画を昔読んだような気もする(相手は幼女ではなく、S気のある若い女の人だった)。これが本心なのだろうか。自分がロリコンかどうかと問われると、ロリコンではないと思う。ただ、それは自己申告だと何とも言えないだろう。ロリコン脳科学的には病気と言えると聞いたこともある。自分の脳を精密検査すれば何かが出てくるのかもしれない。何も出てこないかもしれない。
 
 でも、ここでショックを受けたのは、自分がロリコンかもということよりも、「口では立派なことを言っていても」の部分だ。TwitterのTLで二人の人が別のタイミングで「不幸ごっこではないのか。本当は君は悲しんでいたり傷ついてはいないのではないのか」という趣旨の発言をしていて(私に向けた発言ではない)、うーん、と唸ってしまった。不幸でなければ詩や小説を書いてはいけないかと言うとそうではないと思うし(みうらじゅんの「アイデン&ティティ」にそんなシーンがある)、作品の善し悪しは不幸のランキング付けではないとは思うのだけれど、動機として、自分の身の上を語ることをミッションとするというのは大きいと思うし、それが作品の厚みを出すことも充分考えられる。不幸も幸福も人それぞれで、見方によっては変わってくると言ってしまえばそれまでだが。生まれてくること自体を不幸と呼ぶ人もいるだろう。幸福はあまり種類はないけれど、不幸は多種多様で、物語にしやすいっていうのもあるんだろう。ちくしょう、みんな大喜利だ。
 
 夢が本心かどうかとか、不幸でなければ物語は作れないのかとか。どうでも良いと言えばどうでも良いだろう。残るのは嫌な汗だけだ。ただただ、深く、深く自分の中に潜っていって、何もないかもしれないけれど、深く潜らないことにはそれも分からない、と思う。

夜になる
二時間ほど眠ってしまったようだ
それよりも短いかもしれない
あるいは長いかもしれない
もう何百年も経ってしまったのかもしれない
 
慌てて洗濯物を取り込む
すでに辺りは真っ暗で、洗濯物は湿っている
干し始めるのも少し遅すぎた
朝起きられなくて
太陽が傾き始めていた
 
家の前の街灯が消えている
そのせいで辺りが余計に暗い
昨日は点いていた
今日は消えている
そんな感じで点いたり消えたりしている
そのうち永遠に消えてしまうんだろう
 
窓も開けっ放しだった
また雨が降ると家の中まで吹き込んでくる
閉める
外を見る
街灯は、消えている
 
ああ、死ぬんだなと思う
もしかしたら、もう死んでいるのかもしれない
死んでしまった僕が、自分が幽霊になったことにも気づかずに
洗濯物を干して、昼寝して、慌てて取り込んで、窓を閉めて
辺りは真っ暗で、街灯が消えていることに気づいて、
ああ、死ぬんだなと思っている
 
疲れている、が口癖になる
口に出すと余計に
幽霊になってからも疲れてしまうのだ、僕は
 
街灯は、消えている
今日も

幸福論

 幸福度を上げたい。
 あり余る富とか、無限の睡眠とか、満漢全席とか、回らないお寿司とか、そういうのもほしいけど、とりあえず一時間長く眠るようにして、良質な睡眠のための運動とか温かいココアとか、行列のできるラーメン屋とか、そんな感じから始めたい。新宿の「らぁ麺 はやし田 」は食べログ高評価というだけあって、美味しい。「麺屋 翔 本店」も塩も良いが、水曜限定の味噌ラーメンも美味しい。
 
 酒も良いけど、酒は弱い。煙草は煙い。薬は依存症が怖い。幸福度はちょっとずつしか上がらなくて、しかもそのうちに慣れてしまってなかなか上昇が鈍くなっていくのに、不幸度は一気にやってきて、しかも慣れることがない。いつまでも慣れない。変な汗がずっと出る。
 大人になるって、嫌なものとも付き合わなきゃいけないもんだと気づいてしまって、まあそれによって得られる関係性とか、生活のための金銭とか、そのためには仕方がないのだけれど。だから、嫌なものと付き合えるように、不意に目にした悪意に自分がやられてしまわないように、少しずつ自分の幸福度を上げておく必要がある。無意識に悪意を撒き散らす人を見た時に、自分がそれに呑み込まれてしまわないように、どうせ向こうは何も感じずにパフェとか食ってるんだろうから、こっちも気にせずにパフェでも食べようかと(「珈琲西武」のパフェは好き)、悪意をスルーできるようにしておこうと。
 
 でもそうそう上手くはいかなくて、気がつけば肩は凝るし、腰は痛いし、変な汗で体中はベトベトするしで、散々である。何でそんなに幸せになりたいのかと言うと、生きることを肯定したいというのと死なないようにするためで、なんで生きたいのかと言うと、結局生きることを選択してしまったからである。何の因果か、最初に生まれることがあって、そこから死ぬことではなく生きることを選択してしまっている。人生の意味とか、目的とかそういうのは別にして、とりあえず生きることを選択している。そういうシステムなのか、ただ選択させられているような気もするが、とにかくそうなっている。どっち選んだって良いはずなんだけど、表面上は自分が選んだということにして、やっていきたい。
 そんな感じで、向こうがパフェ食ってるならこっちもパフェ食っているアピールして、いや自分は幸せなんで、全然大丈夫なんで、と空元気をアピールしつつ、ラーメンも食べ、ついでに餃子もつけて、なるべく早めに何も考えずに眠れますように。
 

あ、嫌だなあと思う。
怒っている。感情的になっている。
頭に血が上っている。
それなのに。
 
胃の辺りに冷たい石を置かれたような気持ちになる。
冷たい、冷たい、石。
ずっと、どこかの遠い山奥の、もう誰もそこには訪れないような、獣や鳥ですらそこに訪れないような、誰からも忘れられてしまったような場所にあった、そんな石。
それが、私の胃の辺りに、コトリと置かれる。何かの間違いみたいに。
なんでその石がそんな辺鄙なところから、私の元にやってきたのかは知らないけれど。
それでも、そういう間違いって、世の中にいくらでも転がっている。
石の大きさは分からない。大きいような、小さいような。
ただ冷たくて、固い、ということだけが分かる。
 
体は熱いのに、石の置かれた胃の辺りだけはいつまでも冷たい。
そして、それがそのうち、当たり前みたいに、少しずつ周りを侵食していって、私の胃も石化していく。
私の胃は、冷たい、冷たい、石となる。
侵食は止まらない。
どこからか私の体の熱と、石の冷たさとのせめぎ合いになる。
しかし、それがいつまでも続かないことは分かる。
いつまでも熱を帯びていることはできない。いつまでも怒りは持続しない。
そして、私はどんどん冷たく、固くなっていく。
後悔、だけが残る。