日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

才能と大喜利

 才能とか考えると苦しい。嫌になる。
 

  若くしてCDデビューをして、天才と呼ばれるのが才能なのだろうか。天才、と誰かが誰かを呼ぶことにどんな感情が含まれているのだろうか。

 才能があるかないかでいったらないだろう。技術的なことは身につくけど、才能とか、感性というものがどうやってという気持ちもする。
 才能がないからやめるべきだ、というのも分からない。どうして推奨してくる? 時間の無駄だから? もっと有意義なことに時間を使うべきなのか。単純なお金稼ぎに。でも、自分が好きだからやっているだけですというのも、なんだか逃げな気がする。趣味なので、好きでやっているので、というのは真摯に向き合っていない証拠でもあるのだろうか。
 ただただ、出てくる言葉を書き留めていき、それが認められるというのが理想だし、それができるのが天才なんだろう。天才でない人はどうするべきなのか。さっさと見切りをつけてやめるべきなのだろうか。
 そもそもそこまで時間をかけてないではないかというと、そうなんだけど。一流になるには一万時間必要というし。一日十時間費やして、それを三百日続けて、三年かかる。一日三時間だと、十年かかる。そうやって、ひたすら馬鹿みたいにやり続けた先に、多分何かがあるんだろう。それまでは全てのことはノイズに過ぎない。
 
 全てが大喜利になればいいのに。心が弱く、振れ幅がひどい。感度の良い測定器のようだ。しかし、それはノイズにもすぐ反応してしまうということである。ちょっと、Twitterも見られない時がある。5chやなんでも掲示板は見ない。
 大洪水とか、大地震が起きたら、言葉は勝てない。どうすればいいんだろう。