日々のこと

I'm becoming this all I want to do.

姉の残した音楽

 著作権的なあれでフィクションとノンフィクションの間。
 
 姉が大量の音楽データを(1TBほど)を残してくれた。ぶっ通しで聞いたとしても、聞き終わるのに2年くらいかかる量だ。「もういらないから」と言っていたが、彼女がその後行った世界は音楽を聞くことができないのか、それとも常に音楽が流れていてわざわざ自分で音楽を持っていく必要のない世界なのか、私は行ったことがないので知らない。そのうち知れる機会があるかもしれないが、姉と同じ世界に私がいつか行けるのかも分からない。
 そんなわけで、私は今のところ音楽に不自由していない。これはとても素敵なことだと思う。私自身もCDを買ったり、音楽データをダウンロード購入したりすることもあるが、姉が持っていた量には到底及ばない。過去の何か気になるアーティストや曲があったとして、姉のデータを見れば既に持っているということも多々あった。姉が私に音楽をくれた日、私は無性に荒井由実の「ひこうき雲」が聞きたくなった。果たしてそれは、姉の持っていたデータの中に存在した。
 
 同時に姉は大量のCDも私に残してくれた。昔はそのCDを使って、カセットやMDに自分のお気に入りの曲を入れ、自分で聞いたり、時にはそのカセットやMDを私にくれたりしたものだった。私から、「このアーティストのアルバムをカセットに入れてほしい」と頼むこともあった。姉は言われた通りにカセットにアルバムを入れてくれ、余ったスペースに私が知らなかったアーティストの曲を入れてくれた。「ボーナストラックね」と言いながら。私はそこに何の曲が入るのか、いつも楽しみにしていた。当初頼んだアーティストのアルバム以上に楽しみにしていたのかもしれない。
 iPodが初めて世に出てきた時、「もうこれでMDに一々曲名を入れたり、MDを入れ替えたりしなくていいんだ」と姉は半ば寂しそうに喜んでいた。いや、しかしながら確かにそれは革命的であった。なぜドラスティックな変化に対して「革命」という政治的な色を感じる言葉を当てるのかは分からないが、確かに、それは革命であった。姉にとっての。
 姉はiPodを購入し、iTunesに所有している全てのCDのデータを移した後も、時折CDで音楽を聞いていた。お年玉を貯めて購入したCDコンポをいつまでも持っていて、それを使って音楽を聞いていた。あまり音質は良くないし、一々CDを変える手間もあったが、姉はその作業を愛していたと思う。何か、何か彼女にとって好ましくない事態が生じた時に、そのような行為を行っていたように思う。もちろん、新しくCDからカセットやMDを作ることはなかったし、普段家で音楽を聞く時や外出の際はiPhoneに入れたデジタルデータで音楽を聞いていた。
 
 姉はどうしてかその大量のCDが失われることをひどく恐れていた。銀杏BOYZの峯田さんがブログに「所有しているレコードが大地震で失われたら気が狂ってしまう」と同じようなことを書いていて、それを一度読んだことがあるが、姉の恐れはきっとそれと同じだっただろう。「もう全部データに入れているからいいじゃん」と私が伝えても、何の慰めにもなっていないようだった。姉は形あるものを愛していたのかもしれない。書籍も、電子書籍よりは紙の本を購入していた。便利さの果てに、形あるものが、形をなくしていくことを嫌っていたのかもしれない。しかし、結局のところ姉は形を失い、私に残されたのは大量の無機質なCDと音楽データだけだ。このCDをリサイクルショップに売ったとしても、二束三文にしかならないだろう。そのため処分することもできない。しかし、私は便利さ故に、iTunesで曲を聞き、一々CDで曲を聞くことはない。悲しいことに。
 
 たまにiTunesでランダムに音楽を流す。大抵私の知らない曲が流れる。たまにこれいいなという曲があると、アーティストの名前と曲名を見てみる。姉はどんな気持ちでこの曲を聞いていたのだろうか、と思う。この曲を何度も聞いたのか、それとも一度だけしか聞いていないのか。私は何度も何度もその曲を聞く。そうすれば少しは姉に近づける気がする。形のない音楽を何度も聞くと、姉が形を持って現れてくれる気がする。そんなことはないのだけれど。
 私は、もう一生音楽を買う必要がないのではないかと思う量のデータを所有している。姉の残した音楽だけでこの先の人生を生きていけるだろう。まるで姉の亡霊に囚われているみたいだ。新しい音楽を買ってもいいのだけれど、その音楽には姉が存在しない。私はいつからか姉を思い出すために音楽を聞いている。姉はそんなつもりはなかったのだろうが、結果としてそうなってしまっている。そして、私は新しい音楽を買う必要のないほどのデータを所有している。不自由なく音楽を聞いているのに、却って不自由になっている。
 いっそ二年間ぶっ通しで姉の残した音楽を聞いてみようか。それもいいかもしれない。そうすれば、姉の呪縛から逃れられるだろう。まずはどの曲から始めようか。姉が初めて私にくれたカセットの一番初めの曲にしようか。Mr.Childrenの「Atomic Heart」の「Printing」。